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故郷を離れて既に40年 東京・武蔵野の水辺を中心とした身近な風景と駄文を発信します
 

 

千川上水、開渠部を超えて(青梅街道から西武新宿線)

 

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千川上水、開渠部を歩く(電通研究所前交差点から青梅街道)

 

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千川上水、開渠部を歩く(武蔵野大学前から電通研究所前交差点)

 

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千川上水、開渠部を歩く

 

千川上水

千川上水(せんかわじょうすい)は、徳川綱吉の命により、1696年(元禄9年)完成の江戸六上水の一つ。設計は河村瑞賢、開削に当たったのは多摩群仙川村の太兵衛、徳兵衛。
玉川上水を水源とし、境橋から江戸城の城北地域ー小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)、及び六義園(綱吉寵愛の家臣、柳澤吉保下屋敷)ーへの給水を目的として掘削された総延長約22kmの用水路(上水)である。(Wikipediaからの参照)

元々はこのように水道用水としての利用が主要な目的で開削されたのだが、1707年(宝永4年)、農業用水としての利用が許可になった以降、何本もの分水路が引かれ沿線の水田灌漑に利用される(六ヶ村分水原窪支流中新井分水、矢端川の長崎村分水等々)。
明治以降は水車による精米・精麦・製粉などが行われ、鹿島紡績所、王子製紙、大蔵省紙幣寮抄紙局など、工業用水としても使われていたと言う。

それら水の需要の終わった1971年(昭和46年)、玉川上水からの取水が止められ、水の流れも途絶えていたが、1989年(平成元年)、東京都の清流復活事業により高度処理再生水が日量2000㎥流され、上流部約5キロがせせらぎとして復活した。この再生水は開渠部の終わる伊勢橋(関町一丁目交差点)で全て汲み上げられ、善福寺池池尻に放水、善福寺川の渇水対策に役立てられる。

 

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又も発見、武蔵野台地を貫く直線道路

地図(Google map)を見ていて偶然に見つけた、不自然に真っ直ぐな細い道路。こう言う直線道路は先ず水道道路だと思って間違いない。しかも何度も通っている野火止用水の直ぐ脇から始まっているのに今迄気が付かないでいた。
ネットで検索してみたら、なんと、小平監視所で汲み上げた玉川上水の最後の水を、東村山浄水場に送る導水管が埋まっているのだそうだ。

水道道路砂川線(小平監視所から東村山浄水場まで)

玉川上水と野火止用水は、おいらが最初に武蔵野の水辺に興味を持ち始めた切っ掛けでも有り、その後も何度通ったか分からない、いわばライフワーク的な存在。

江戸時代に掘削された玉川上水は、現在も東京の水道水を賄う現役の大動脈(東京の水道水源、78%が利根川・荒川水系、19%が多摩川水系)。
羽村堰で多摩川から取水した後、現在は500メートル余り下流の第三水門で大半の水が汲み上げられ、村山・山口貯水池に送られる(その導水管ルートが羽村山口軽便鉄道跡)。
その後幾つかの分水路に今でも水を供給しながら最後、小平監視所で全量を汲み上げられて東村山浄水場に送られる。このことは今まで漠然と承知していた。しかしその導水管がどこを通っているか、等、殆ど関心を持たないままで来た。

その導水管ルートを偶然地図上に発見、しかも上流側で野火止用水とルートを共有し、野火止用水緑地で別れた後、典型的な水道道路としての直線を保ちながらほぼ2キロ(小平監視所からは約4キロ)、武蔵野台地を貫いている。
この水道道路は「砂川線」、「水道緑地」、「富士見緑道」などと呼ばれているようだが、兎も角これは行ってみる他は無い。

 

撮影Map

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撮影Album

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 昨年秋、紅葉の散策に続き、新緑のこの時期、同じ奥多摩に行って来た。若葉の森林浴も又、紅葉とは別の趣があって癒される。

 

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東京に見る、苔むす巨岩と滝、新緑

昨年秋、紅葉の散策に続き、新緑のこの時期、同じ奥多摩に行って来た。若葉の森林浴も又、紅葉とは別の趣があって癒される。

 

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飛水峡ー日本列島誕生の由来を示す地形と地質の景観

飛水峡は岐阜県加茂群七宗町から加茂郡白川町までの全長約12Kmにわたる峡谷。
流れに沿って国道41号線と高山本線が通っている。

日本列島の背骨

実は飛水峡を知ったのはNHKの『ジオジャパン』と言う、日本列島の成り立ちを取り上げた番組からだった。ここは日本列島の成り立ちを示す一つのキーポイント地で有るらしい。
飛水峡の両岸は「チャート」と呼ばれる、非常に固い岩石層が続いているのだが、ここのチャートと全く同じものが、1400キロも離れたロシアのハバロフスクで見られるのだと言う。つまりかって大陸に有ったこの地層が、大陸の縁が引きちぎられる形で剥がされ今の地まで移動、それが今の日本列島の骨格を形成していると言う訳だ。剥がされた割れ目は今の日本海になっている。

飛水峡とチャート(chert、角岩)

チャートは堆積岩の一種。主成分は石英や水晶と同じ二酸化ケイ素(SiO2)で、その成分の殻をもつ放散虫等の微生物の死骸が堆積してできた岩石(生物由来でなく熱水噴出孔からの成分由来のものも有ると言う)。
遠洋深海底で堆積されたもので、その為陸からの砂や泥、火山灰などを含まず、炭酸塩鉱物も水溶されて含まれない。その点で炭酸カルシウムを成分とする石灰岩とは大きく違う。深海の水圧で押し固められ極めて硬く、堆積のスピードも1000年に数mm或は0.3mmとか言う超スローだと言う。
チャートそのものは上述のように、砂・泥・火山灰などを含まないが、堆積に伴い砂岩や泥岩などを挟んで層状を呈している場合が多い。深海にまで及ぶ大規模な「地球事変」によるものだろうか。
又含まれる金属元素などによってさまざまな色を呈する。例えば飛水峡にも赤い色のチャート層が見られるが、当然鉄分(酸化鉄)を含んだ層であると言うことと、この層が堆積した時代、旺盛な植物の繁茂が続き、地球規模で酸素濃度が高かったと言うことが分かる。

チャートも石灰岩も日本の至る所で見られるが、東京でも奥多摩の海沢川上流部などで特徴的なチャート岩を見られる。
又硬い、と言うことで風化を免れたチャートが河床の礫の中に頻繁に見られる。

渓谷と甌穴群(おうけつぐん)

硬い、と言うことで水の浸食は外側に広がらず、河床を深くえぐり渓谷を形成する。
狭い渓谷を流れる激流によって運ばれた石が、岩盤表面に引っ掛かり流速による渦巻き運動でそこに円形の穴をあける。甌穴(ポットホール)と呼ばれるが、飛水峡の「甌穴群」は有名で国の天然記念物になっている。

日本最古の岩石

七宗町上麻生付近の飛騨川河床で、日本最古(20億年前)の岩石が見つかっている(もう1ヶ所、島根県隠岐島後)。
…と言っても飛水峡のチャートや砂岩の地層全体が20億年前に形成されたと言うことでは無く(地層の形成は中生代の三畳紀~ジュラ紀ー約2億4000万~約1億6000万年前)、地層に挟まれた礫岩層の中に20億年前とされる片麻岩礫が見つかったと言うことらしい。つまり20億年前に当時の大陸に分布していた岩石が、約2億年程前に礫として運ばれ海底に堆積、地層に紛れ込んだのだろう。
いずれにしてもこの地が、列島の中でも最も古い時代に形成されたことには違いない。

 

撮影Map

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ここでは特徴的な景観のみ写真を掲載しました。

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2018年春、飛鳥山の桜と音無し渓谷の景観

2018年3月24日、例年よりだいぶ早い桜の開花に、王子の飛鳥山と直ぐ脇の音無し親水公園で爛漫たる満開の桜を堪能してきた。
更に、4月の14日、レンズを替えて音無し親水公園を撮って来た。

※ 2017年の飛鳥山・音無し親水公園はこちら

 

地形図

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撮影Map

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アルバム形式で表示

下の写真をクリックして下さい。アルバム形式で表示されるので写真をクリック、拡大表示でご覧下さい。
「前へ」「次へ」で写真が切り替わります。

「インデックス」(右下の数字)の6までが、ほぼ3月撮影、7以降が4月撮影のものです。

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飛鳥山と音無し親水公園

絶好の花見日和となった3月24日の土曜日、王子の飛鳥山とその下の音無し親水公園に行って来た。
桜は満開、天気は快晴風も無し。
去年も同じ時期(4月2日)に行って来たので、地形図など含め参照してください。

東京のサクラ、三大名所

東京にサクラの名所は数々ある中で、おいらの独断で言わせて貰えば、先ずは千鳥ヶ淵か。皇居とお濠、威風堂々たる英国大使館とが相まって気品ある桜風景が続く。ただ場所が場所だけに宴会が出来るのは一部のみ。

次に上野公園とこの飛鳥山が、甲乙つけがたい順序で続く。
ただやはり飛鳥山は直ぐ下に音無し親水公園と言う、非常に趣のあるエリアを併せ持っていて、おいらとしては僅差でこちらに一票。

 

撮影アルバム

マッ、余計な説明は抜きに写真での花見をどうぞ。
下の写真をクリックすればアルバム形式で表示されます。ぐるぐる回りながらの撮影なので順不同です。

 

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

主に阿佐ヶ谷地内の支流網-暗渠の迷宮

阿佐ヶ谷を歩いていると至る所で暗渠道に出くわす。
桃園川について」でも述べたように、唐突に現れる暗渠道を歩いているだけではその全体像もつながり具合も到底把握できない。写真のGPSデータを地図上にプロットして初めてつながりがおぼろげに見えてくる。それも完全にではなく、既に所どころ痕跡が分からなくなっている場所もある。
その中で今回は、歩いていてたまたま出くわした水路跡・暗渠を確認できる限り追ってみた。おそらくここに掲載した以外にも有るのだろう。

 

地形図

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撮影Map

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

天沼1丁目方向からの支流-桃園川最長の支流

「暗渠の迷宮」とも言うべき桃園川沿線で、最も長く、一貫してそのつながりも理解しやすく、主要な支流と言える「天沼1丁目支流(仮称)」を、おそらく本流からの分水地点近くから、桃園川緑道への合流まで辿る。
 このコースは、荻窪・阿佐ヶ谷の谷の北端部を通っており、これが桃園川水系の最北水路だと思われる。

 

地形図

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撮影Map

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

桃園川緑道、神田川合流

阿佐ヶ谷駅から約500メートル東、JR中央本線を潜った所から「桃園川緑道」が始まる。暗渠迷宮状態だった阿佐ヶ谷地内から一変、きれいに整備された緑道が神田川合流までの約5キロ続く。もうこの先迷う必要は無い。
5キロと続く、ここまで整備された暗渠・緑道は東京でも珍しい。

 

地形図

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撮影Map

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「桃園川について」、こちらに若干まとめてあります。

 

暗渠の迷宮阿佐ヶ谷に、桃園川本流を探し、辿る

桃園川について」で述べたように、特に阿佐ヶ谷地内に入った桃園川は、今の中杉通りを前後して支流が網の目のように入り組み、その痕跡である暗渠網が至る所で、いわば唐突に現れる。
その中で兎も角、中杉通までの桃園川上流部と、JR中央本線を潜って「桃園川緑道」となる中・下流部との連結を見ながら、「おそらくここが本流なのだろう」と思われるコースを辿ってみた。多分間違いないものと思うが。

 

地形図

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撮影Map

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桃園川について

 

桃園川は神田川の支流で、源流は荻窪の天沼弁天池とされる。全ルートが暗渠化され本流部分の大半が緑道となっている。特に阿佐ヶ谷でJR中央本線を超えた所から神田川合流まで、「桃園川緑道」としてきれいに整備されている。
桃園川緑道だけ取っても約5キロ弱、これだけの長さでこれだけ整備された暗渠緑道は東京でも珍しい。

 

水田灌漑用水と「暗渠の迷宮」

桃園川流域は、荻窪・阿佐ヶ谷の地名が示す通り、上流部から神田川合流まで、ゆるい谷が帯状に続いている(地形図参照)。かってそこに水田が広がり、桃園川はそれを潤す灌漑用水としての役割を持っていた。
広がる田一枚一枚にまんべんなく水を供給する必要上、灌漑用水路の常として細かく枝分かれし細流が網の目のように入り組んでいたことだろう。
関東大震災以降移り住む人が増加、宅地開発の為水田はつぶされ水路も1本化されたようだが、今でも支流・細流の跡は主に阿佐ヶ谷地内で至る所に現れる暗渠道に見る事ができる。
迷宮のようなこの暗渠道を歩いているだけでは、その全体像もつながり具合も到底把握できない。写真のGPSデータを地図上にプロットして初めてつながりがおぼろげに見えてくる。しかしそれも完全にではなく、既に所どころ痕跡が分からなくなっている場所もある。

 

このシリーズでは、上流部沿線の支流は『桃園川-1(源流部)』で本流と共に扱い、最も長く一貫していて主要な支流だと思われる「天沼1丁目支流(仮称)」は独立にページを設け『桃園川-4(天沼1丁目支流)』で扱っています。その他阿佐ヶ谷地内の至る所で見られる暗渠網は、確認できる範囲で『桃園川-5(阿佐ヶ谷地内、支流網)』で扱っています。

 

源流天沼弁天池と千川上水からの助水

水源となっていた天沼弁天池は既に湧水が枯渇し、現在は公園となっている敷地の片隅に、後から造られた人工池があるのみとなっている。
下掲地形図を見ても分かる通り、弁天池周辺はそれ程際立った谷地と言う訳ではない。おそらく湧水量にも限りが有っただろうし、周辺の都市化と共に枯れるのも無理からぬことだったのだろう。
この弁天池からの湧水だけでは流域の水田用水を賄えず、1707(宝永4)年、千川用水から青梅街道に沿って「六ヶ村分水」と呼ばれる水路を切り助水を得ていたそうだ。工事尽力者、井口半兵衛・相澤喜兵衛の名をを取り、半兵衛・相沢堀とも呼ぶ。

 

本流、支流

「天沼1丁目支流」にしても、又ここに掲載してある「河北総合病院脇の支流(仮称)」にしても、本来支流とか本流とかの区別は無いのかも知れない。
水田が広がり、そこに張り巡らされた水路に「○○川」「××堀」などの各々の呼び方は有っても、本流・支流等と区別しての意識はなかったんじゃないか。魚沼の農家出身である私自身の経験から言っても多分そうだと思う。
源流部から、現在「桃園川緑道」となっている下流部との一貫した繋がりを持った水路跡、宅地化に伴い一本化されたらしいその水路を、便宜上「本流」としてここでは扱い、それ以外を「支流」として扱っているにすぎません。

 

桃園川全体の撮影Map

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六ヶ村分水追分、荻窪天沼弁天池から阿佐ヶ谷まで、本流と幾つかの支流

ここでは追分から始まる桃園川暗渠道を、天沼弁天池も経由し、途中の支流も取り上げながら、阿佐ヶ谷の中杉通りまで辿る。

 

地形図

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撮影Map

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小平地内玉川上水緑道の紅葉

玉川上水43キロは、一部を除き緑道が整備されていてそれぞれに趣がある。中で玉川上水駅から小金井公園に掛けて、取り分け小平桜橋までの約6キロが歩いていて最も気持ちがいい。………と個人的には思っている。
2017/12/2、欲を言えば2,3日遅かった感も有ったがしかし、東京での紅葉の最盛期、充分に武蔵野雑木林の紅葉を堪能出来た。

 

撮影Map

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2017/11/19

 

紅葉と巨岩の絶景、鳩ノ巣渓谷

青梅線白丸駅から鳩ノ巣駅に掛けての約2キロメートル、多摩川に沿って広がる鳩ノ巣渓谷の景観。右岸に遊歩道が整備されている。
特に白丸ダムから下流側半分の景観は素晴らしい。
遊歩道の階段、若干の登り下りは有るもののそれ程きつい勾配は無く、駅から駅までの間、手ごろなハイキングコースと言えよう。

 

撮影Map

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鳩ノ巣渓谷アルバム

全部の写真はここに掲載してあります。
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2017/11/19

 

奥多摩、紅葉と滝の絶景

海沢(うなざわ)三滝に行って来た。本当は四滝らしいのだが最上流の滝はまともな道も無いらしいので、そこまで行く人はあまりいないようだ。
電車では青梅線奥多摩駅か、一つ手前の白丸駅から。滝巡りの起点とも言うべき海沢園まで結構歩く。車ならこの梅沢園迄行けるから登り下り2時間位で滝巡りが出来る。

紅葉も最盛期、見ごたえのある景観を楽しんできた。

 

撮影Map

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海沢3滝アルバム

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御岳山ロックガーデン(岩石園)に紅葉を求めて

御岳山(御嶽神社)は4、5回登っているし、そこから続く大岳山も20年以上前に別なルートから登ったことが有った。
御岳山から大岳山に至る途中に「七代の滝」「ロックガーデン」などと言うポイントが有るようなので出かけてみた。
いつもはバスもケーブルカーを使わず、御嶽駅から山頂・御嶽神社まで徒歩で登るのだが、今回はその先が目的だったので時間の関係上バス、ケーブルカーで御岳山頂駅まで行った。帰りはケーブルカーを使わず徒歩で降りたが、転がるように急いで降りたので2、3日筋肉痛に悩まされることとなった。

巨岩と清流・滝、紅葉

七代の滝もロックガーデンも、今盛りの紅葉と相まって東京離れした景観を見せてくれた。ロックガーデンは「東京の奥入瀬」とも呼ばれているらしい。
お陰で当初大岳山まで行く積りだったが時間が足りなくなり、ロックガーデンを歩き終えた地点で引き返した。
何回か登っている御嶽神社から少し足を延ばしたその先に、こんな景観が広がっていたとは今回初めて知った。来年の紅葉シーズンには予め計画を立てて再度登ってみよう。

 

撮影Map

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御岳山・御嶽神社はこちら

御岳渓谷の紅葉はこちら

 

紅葉の上高地、日帰り撮影行

10月14(土)溌の夜行高速バスで上高地入り、翌日未明から、15時発の帰りバス時間まで紅葉の上高地を歩いてきた。
1週間前辺りから当日の天気を気にしてチェックしていたんだが、日が近づくにつれ予報は悪くなる一方、前日の予報はもう最悪。完全に雨を覚悟しながら運を天に任せて出発した。
未明の5時過ぎ大正池でバスを降りたら、空は暗かったが道は乾いていて雨は落ちていなかった。結果的に午前中は曇りのままで持ってくれた。

実は今回、一つの計画が有った。岳沢への登りだ。
岳沢は上高地の至る所で正面に見える穂高の中腹から下の部分、ガレ場のところ。下から眺める岳沢から逆に上高地を見下ろしてみたかった。黄色が主の紅葉も見ごたえがあるようだし。
しかしこれは実現しなかった。昼頃から雨が降り出してカメラが心配だったし、仮に登っても眺望は利かなかっただろう。登山道の途中で引き返した。

兎も角朝から雨っぽかった天気用法が、半日後に押してくれたお陰で、上高地の「銀座通り」紅葉は何とか写真に納めることができた。
今回は岳沢登攀計画も有り、雨も降って来たので小梨平、岳沢湿原から奥には行かなかった。

新緑の上高地」も併せてご覧ください。

 

下田橋

妙正寺川が中野通りと交差する地点が、哲学堂公園への入り口の一つ。中野通りに沿って公園が広がっている。

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クリックすると、文字が判別するよう拡大表示されます。

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下田橋からの妙正寺川

右岸に「哲学の庭」が広がり、その下に「妙正寺川第二調節池」の取水口が開いている。
左岸は10メートルを超える台地から妙正寺川に落ち込んでいて、その崖と台地上に「哲学堂公園」が展開している。

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右岸、哲学の庭

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左岸、哲学堂公園

妙正寺川直ぐ脇の、崖下。崖に決まりごとの湧水箇所が幾つかある、…が、おそらくポンプアップによるものだろうな。

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かっては豊富な湧水が見られたのだろうが。

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妙正寺川脇から、台地上に繋がる石段。

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三祖碑

崖の途中

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台地に上がって

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哲理門

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茶会が開かれていた。
建物の中に、一般入園者は原則入れない。

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六賢臺

右脇の案内板には以下のような文章

ここに東洋的六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている。

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三角尽くしの三学亭

おそらく公園での最高地点だろう。

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硯塚

筆塚と対をなす碑だと思われる。
脇の案内板には以下の文が記されている。

硯塚
井上円了が全国巡游中、求められて各地で揮毫した際に用いた硯を供養した記念碑で、筆塚とともに貴重なものである。

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四聖堂

井上円了が最初に建設した建物で、ソクラテス、カント、孔子、釈迦の四賢人を祀ったこの四聖堂を「哲学堂」と称し、これがそのまま公園の名、公園の始まりとなった。

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宇宙館

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絶対城

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筆塚

崖の途中。
上掲硯塚と対をなす碑だと思われる。脇の案内板には次のような文が記されている。

筆塚
字を書きて、恥をかくのも今暫し
哲学堂の出来るまで

哲学堂は井上円了博士が全国巡游中求められて各地で揮毫した際の謝礼を基金として開設されたのであるが、その謝意を含め、かつ、その筆供養のための記念碑として造られたのがこの筆塚である。

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台地から降りて

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菖蒲池

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江古田川を辿る

 

源流と千川上水からの分水

江古田川は練馬区豊玉地区から中野区江古田地域を流れ、江古田公園(江古田古戦場跡)脇で妙正寺川に注ぐ一級河川。中新井川とも呼ばれる。
練馬区豊玉南1丁目の下篠田橋(交差点)迄暗渠、そこから妙正寺川合流までの下流が開渠となっている。
武蔵野台地の他の河川同様、普段は一級河川のイメージに程遠く、幅数10センチ程の細く僅かな流れしかない。しかし一旦大雨になると溢れんばかりに増水、それを回避する為下流に調整池が設けられている。

元々は現在の練馬区豊玉南三丁目、学田公園付近の中新井池湧き水を源流とした、とされるがその湧水が江戸時代後期に枯れ、北側の千川上水から3本の分水路を切り、水田灌漑に使った後江古田川に落としていたそうだ。そのうちの1本(中新井分水)が千川上水(千川通り)から学田公園までハッキリ確認でき、そのまま江古田川に続いている。
今回はこの中新井分水跡を含め、妙正寺川合流まで辿る。
 

学田公園

1887年(明治20年)、溜池を村人が開墾・埋め立てて水田を作り小作に出して、その小作料を小学校運営の一部に充てたことで、ここを「学田」と称した。1955年(昭和30年)に公園整備した際、公園名称を学田公園としたとされる。

 

地形図

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撮影Map

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妙正寺川、平和の森公園から神田川合流まで

引き続き妙正寺川を、平和の森公園から神田川合流まで辿る。
途中、江古田川の合流、江古田の森公園、哲学堂公園などを経て、神田川合流に至る。

 

撮影Map

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妙正寺川(本流)を歩く ― 妙正寺池から平和の森公園

「暗渠の迷宮」とでも言うべき、妙正寺川の支流網・井草川源流部を迷宮に迷いつつ歩いてみた。しかし多分アチコチに歩き残しを残したままだと思うが、キリがないので本命の妙正寺川の本流を辿ってみた。

 

撮影Map

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百花園に萩を求めて

子供の頃、雑草としか見ていなかった萩が、今は一番好もしく趣を感じる花になった。
紅葉の少し前のこの時期、最盛期を迎える萩を求めて向島百花園に行ってみた。百花園は都内では有数の萩の名所で、30メートルにも及ぶ萩のトンネルがある。
トンネルを彩る紅いミヤギノハギは、既に若干(多分2、3日)遅かったが未だ十分見られたし、シロバナハギは今が盛りと咲き誇っていた。

野草園

向島百花園については、下の案内板「向島百花園の沿革」を見て頂くとして(写真をクリックすれば拡大表示されます)、一般の庭園と違って植えられているのは野草、これはこれで中々奥ゆかしい。
開園当初は梅が主体だったようだが、その後ハギやススキなど万葉集や中国、日本の古典に詠まれている植物を集めて、四季を通じ花を見られるようにしたと言う。

掲載写真は全く順不同です。説明も付けていません。
園内のどこに咲いているかなど、撮影Mapを参照しながらご覧ください。

 

フォトギャラリー(全ての写真はこちら)

 

撮影Map

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皇居一般参観-宮殿と反対側から見る二重橋と

 

皇居一般参観に行って来た

宮内庁も今は相当こなれている、と言うか気さくになっていて、公式行事などの無い平日は、午前と午後の二回一般参観を受け付けている。それも特に事前の申請を必要とせず、時間までに参集場所(桔梗門前)に行けば当日その場で受け付けてくれる。手続きも至って簡単。但し免許証などの身分証明書が必要。

一般参観についての宮内庁のホームページはこちら

 

…と言うことで行って来たのだが、手当たり次第にシャッターを押して来たので、画像アプリの助けを借りて並べてみました。
基本的にコースに沿っての写真ですが、振り返っての撮影だったり、往きと帰りで同じ場所を撮ったりと、その辺全く整理していません。

見どころとしては普段立ち入ることのできない宮殿(中には入れない)、正門鉄橋(本来、正式な二重橋)を渡り、正門石橋(一般的にはこちらを二重橋と思っている人が多い)を、普段見慣れているのとは逆方向から見る、等。
今回のコースでも、宮殿やその前の広場などの広さに圧倒されるが、それでも皇居(主に西の丸エリア)全体から見ればホンの一部。

 

大半が外国人だった

受付を経ての参集場所である窓明館にも、何人かの紅毛碧眼を見たが、歩き出してから聞こえてくる言葉は殆ど中国語(だと思う)。アジア系を含めるとおそらく大半が外国人だと思われる。東御苑でも半分は外人だと思われるし、逆に日本人の間ではこの一般参観や東御苑一般開放のことがあまり知られていないのではないか。

東京駅から直ぐ近く、東京のど真ん中に広がる「日本」を堪能出来る皇居は、外国人にとって格好の探索場所になっているのだろう。

 

当日貰った案内図

参観コースは図下側の、赤点線です。

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正門鉄橋から見た正門石橋

下の写真をクリックして下さい。アルバムが開きます。

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乾通り春の一般公開

乾通り秋の一般公開

皇居東御苑

等も併せて参照してください。

 

暗渠の迷宮、桃井支流(仮称)

 

地形図

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撮影Map

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

暗渠の迷宮-4、今川支流(観泉寺から井草川合流まで)

 

地形図

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暗渠の迷宮-3、今川支流(桃井四丁目から観泉寺まで)

下井草4丁目26、井草川(緑道)に流れ込む長い支流が有る。便宜上「今川支流(仮称)」とし、2回に分けて取り上げる。最初にその上流部。

 

今川と観泉寺

今川支流(仮称)を歩くうえで、どうしても仁義を切っておかなければならない場所が有る。観泉寺。観泉寺は今川家の菩提寺で今川家累代の墓がある。伽藍も境内も立派で、春の枝垂桜、秋の紅葉も見どころだと言う。

今川氏は、室町時代・戦国時代は駿河国(現静岡県)などを治めた一大大名であったが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたのち没落した。義元の子今川氏真は徳川家康の庇護を受けて京などで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没した。氏真の嫡孫今川直房は高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられた。以後、当地は幕末まで今川家一円知行の所領として続くことになる。
江戸時代の観泉寺は、今川氏の知行地支配の拠点でもあり、領民からの年貢の取立てや裁判なども寺の門前で行われていた。
今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっている。(Wikより引用)

 

地形図

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撮影Map

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暗渠の迷宮、井草川源流部-2(井草川、三谷公園から妙正寺池)

 

地形図

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撮影Map

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暗渠の迷宮、井草川源流部-1(井草川源流、切通し公園から三谷公園)

妙正寺川と井草川

妙正寺川は東京を流れる1級河川で、杉並区妙正寺池に端を発し豊島区高田で神田川に合流する長さ9.7kmの川である(…とされている)。井草川はその妙正寺川の支流で、妙正寺池の上流部に広がり現在全て暗渠化されている(ここでも「水路」「流れ」などと記載する場合も有るが、全て暗渠・緑道である)。
しかしかって、現在の妙正寺川を含めた流域全体を井草川と称していたらしく、途中妙正寺池から注ぐ妙正寺川の方が、その支流の一つに過ぎなかったのだそうだ。又江戸時代以降近年まで、千川上水から井草川に分水を引き、流域の田畑を潤していた時期も有ったそうだ。
いずれにしてもその「歴史物語」はここでは本旨ではないので、現在の姿をそのまま辿ることにする。

暗渠の迷宮、井草川

今回取材してみて驚いたことがある。鹿の角のように入り組んだ妙正寺川と井草川の支流が、ホンの小さな傍流と思われるような川筋まで含めて、、それが暗渠・緑道としてちゃんと住宅街に残っていることだ。ここまでの支流網が形として残っている河川は、武蔵野台地上ではおそらく他に見られない。勿論その支流・傍流の大半は名称さえない。正に「暗渠の迷宮」だ。ここでも説明の便宜上、勝手に支流に名前を付けて(仮称)として扱っている
今回その暗渠の迷宮を、Googlemapストリートビューの助けも借りて、極力忠実に辿ってみた積りだが、お陰でページ数が相当膨らんだ。しかしおそらく見逃している川筋もアチコチ残っているだろう。

切り通し公園と三谷(さんや)公園

切り通し公園は井草川の源流とされる。
三方を高台に囲まれた谷地形の斜面から水が湧き、かっては滝が有ったとされる程に豊富だったのだろう。この湧水源からの流れが井草川の谷を刻み、いわば自然の切り通し地形となっている(地形図参照のこと)。
三谷公園は切り通し公園からの2本の流れと、井草川最上流部とされる原窪支流(仮称)を合わせた3本の流れが合流し、井草川として1本にまとまって妙正寺池目指して流れてゆく、いわば井草川源流部の結節点とも言える場所である。
切り通し公園と三谷公園は、間に杉並工業高校を挟み直線距離で200メートル強。この僅かなエリアに源流部3本の支流がが絡み合う。

西山田んぼ

なお切り通し公園から東側に伸びる井草川の谷筋には、井草川と千川上水からの分水を利用した田んぼが広がっていたようだ。
特に源流部から下のエリアは、所有者の名前からとった「西山田んぼ」が広がっていたらしい。現在の杉並工高はその田んぼを都が買い取って建てたのだそうだ。三谷公園とか都立農芸高校なども同じく、元はこの田んぼだったんだろう。
切り通し公園の近くに、西山屋敷林と言う、「ヤマ」と呼ばれる杉並区でも最大級の林と、その中に、如何にも旧家と思しき「西山家」の屋敷がある。多分この西山田んぼの地主だった人だろう(勝手な憶測で、間違っていたらゴメン)。

これは私の憶測だが、田んぼの用水として使われていたことが、源流部川筋の「鹿の角」を作りだしたのではないだろうか。田んぼにまんべんなく水を行き渡らせる為の水路が、今の暗渠迷宮の元ではなかっただろうか、と。

 

地形図

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撮影Map

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「木曽のマチュピチュ」苗木城址

苗木城(なえぎじょう)は、岐阜県中津川市にあった日本の城。別名は霞ケ城。苗木藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている(Wikipediaから引用)。

マチュピチュと言うのは私の勝手な命名だが、チョットした空中城郭の景観だ。

 

 

撮影Map

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浦島太郎が玉手箱を開けた寝覚ノ床

 

木曽川が作った自然地形

国の名勝に指定されている。
元々は木曽川の水の中で浸食された花崗岩が、上流に設けられた木曽ダム(1968年に運用開始)などにより水位が下がった為に姿を現した景観なんだそうだ。
花崗岩の方状節理と柱状節理、それを侵食する木曽川の急流によってこのような岩の表情が生まれたのだろうが、ダムが出来る前は水の中だった訳だ。

中央本線と寝覚ノ床

もう50年近く前になるが、寝覚ノ床の脇を通る中央本線に乗ったことが有って、列車が寝覚ノ床に差し掛かると、車内放送で寝覚ノ床の案内が流れると共に、徐行しながら走ってくれた。乗客はその案内に従って、遥か下に見える寝覚ノ床を眺めたものだった。当時は鈍行列車だった。
今、そんな計らいも無いんだろうな。

浦島太郎伝説

寝覚の床には、浦島太郎が竜宮城から帰ってきた後の伝説が残っている。

浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにした。旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという(Wikipedia引用)。

 

撮影Map

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中山道奈良井宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

奈良井宿

中山道69次のうち江戸から数えて34番目、木曽路11宿の中で北から2番目の宿場。
奈良井観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

私の印象としては、を扱っているお店や工房らしきものが大半を占めていたように思える。

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。比較的早い時間だったのであまり人けのない奈良井宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

撮影Map

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中山道馬篭宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

 

馬篭宿

中山道中山道六十九次の中、43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町。
島崎藤村の出身地(生家は馬篭で、本陣、庄屋、問屋を兼ねた旧家)でもある。
なお馬篭宿の街並みは、1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により石畳と枡形以外はすべて消失、現在の景観はその後復元されたもの。
馬篭観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。
馬篭は坂の宿場町でもあります。基本的に北の端、坂の上部から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

 

撮影Map

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中山道妻籠宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

妻籠宿

中山道69次のうち江戸から数えて42番目の宿場は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせいたそうだ。
妻籠観光協会と、観光協会による『妻籠の歴史』にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

三原則

妻籠は日本初の重要伝統的建造物群保存地区。
妻籠の人たちは街並みを守るために、家や土地を、「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を守って、歴史ある街並みを後世に伝えていると言うことだが、これも中々容易なことじゃないだろう。

観光資源と言っても、そんなに大きなお金が動く訳じゃないだろうし、補助金が下りる訳でもないだろう。
第一、「三原則」に則ってスーパーもコンビニも無い訳で、市街からも遠いし、住人自身の毎日の生活も大きな制約を受けざるを得まい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。早朝と言うことも有って殆ど人けのない妻籠宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

撮影Map

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禿坂支流と、林試の森公園

禿坂支流(ハゲ坂ではなく、かむろ坂)は、品川区小山台1丁目の都立小山台高校近と思われる地点に端を発し、北上して林試の森公園中央部を、水車門から入ってせせらぎ門までを縦断、公園を抜けた所で羅漢寺川に注ぐ500メートル程の短い支流。
林試の森公園内では、流れや池を構成し、公園内で一番のビューポイントとなっている。が、ただこれがかっての禿坂支流の様相をどれだけ反映しているモノかは分からない。公園内の流れ・池以外は全て暗渠。

ここでは上流端と思われるところから禿坂支流を辿るとともに、林試の森公園も取り上げてみる。

 

地形図

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羅漢寺川地形図.jpg

 

撮影Map

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羅漢寺川支流、六畝川と入谷川

六畝川も入谷川も、北側から小さな谷を刻んで羅漢寺川に注ぐ支流。特に入谷川は、現在暗渠ながら羅漢寺川水系の中で多分一番かっての姿を彷彿させる。

 

地形図

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撮影Map

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒不動から目黒川合流

 

目黒不動尊脇で羅漢寺川本流と入谷川が合流、目黒不動尊境内に沿って流れた後、川の名前の由来となった五百羅漢寺脇を通り、山手通りを超えた後目黒川に注ぐ。

 

地形図

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撮影Map

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒通りから目黒不動

東京都目黒区目黒本町一丁目8辺りに端を発し、下目黒で目黒川に合流する、比較的短い目黒川水系の河川。何本かの支流を持つ。
1964年の東京オリンピックの前後に暗渠化されていて、現在支流を含めて一部が緑道として整備されている。
沿線には林試の森公園、目黒不動尊などが有り、そこからの湧水も集めて流れる。

 

羅漢寺川、名前の由来

目黒不動尊の脇、下目黒三丁目に五百羅漢寺と言う寺院が有って、川の名前はここに由来するのだが、この五百羅漢寺そのものがこの地に移されたのが1908(明治41)年と言うから、そんなに昔からのことじゃなく、かって「不動川」と呼ばれた時期も有ったらしい。現在、規模も知名度も五百羅漢寺より目黒不動尊の方が上だと、私は思うのだがどうして不動川の名が定着せず羅漢寺川になったか?
しかし寺院のサイトなどを見ると五百羅漢寺の羅漢像は中々凄い。拝観が有料で撮影禁止になっているから余り知られていないのかも。
 

 

地形

下の地形図を見て分かるように、複雑に切れ込んでいる山の手台地の、一つの谷地地形に沿って、その両側の崖からの湧水を集めて流れる、武蔵野台地典型的な小河川だっただろうことが推測される。
山の手台地の旧河川の多くに共通のことだが、地下水の供給源であるべき地上が現在はコンクリートやアスファルトで覆われ、かって豊富であっただろう湧水も乏しくなっている。羅漢寺川も目黒川への合流口(排水口)を見ても、普段は殆ど水の流出を見られない。しかし一旦雨が降れば、逆に地中に浸透する余地が無くなった水が側溝等を通して一気に集中、現在下水道に転用されている暗渠は急速に水量が増すのだろう。

 

地形図

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撮影Map

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北沢川緑道、せせらぎの流れ、目黒川緑道合流まで

将軍池付近から続いてきた北沢川緑道は、環七との交差点である宮前橋を越えたところから、せせらぎが整備されていて、「ふれあいの水辺」として市民に親しまれている。

 

 

環七、宮前橋(前回、ここまで)

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地形図

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撮影Map

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北沢川

目黒川の支流の一つ。世田谷区上北沢2丁目から3丁目に広がる、都立松沢病院の敷地にある「将軍池」が一応源流とされている。
ただ松沢病院も将軍池も出来たのは近年のことだから、当然その前からこの辺の湧水を源として細々と流れていたのだろう。

1658年(万治元年)、玉川上水からの分水(北澤分水はこちら)が認められ、以来代沢用水として流域の田畑を潤し地域の開発に大きな影響を及ぼしてきた。
1970年代から1980年代にかけ、その全域が暗渠となって地下を流れ、下水としての扱いになっているようだ。その地上部は現在緑道として整備され、特に環七の宮前橋から下流には、人口のせせらぎも作られ、桜の名所、都・区民の憩いの場となっている。
ここでは源流とされている将軍池から、池尻4丁目、目黒川への合流地点までの全ルートを歩いてみた。なお合流地点では烏山川も合流している。

宮前橋から下流はこちら。目黒川緑道はこちら

 

北沢川緑道、再掲

実は八海山倶楽部初期の頃、北沢川緑道を1度取り上げたことが有る。その後写真の整理をした時に、一緒にこのWebデータも廃棄してしまい、ずっと表示されないままだった。
それで今回、再度全コースを辿り直してみた次第。

北沢川緑道はおいらにとって、いわゆる「せせらぎ」に初めて触れた場所。その後の各地の「せせらぎ」、玉川上水などの水辺に興味を持った、いわば原点みたいなところでもある。

 

地形図

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撮影Map

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北沢川緑道photomap.jpg

 

 

日帰り上高地撮影行

5月19日(金)夜発の夜行高速バスで上高地に行って来た。
翌朝5時半頃大正池に到着、順次梓川を遡りながら、16時15分溌の帰りバスに乗り込むまでの約11時間歩き回って来た(最後の3時間位はベンチで飲んだりうたた寝をして過ごしたけど)。

上高地は今更ここで説明するまでもなく、日本でも指折りの景勝地。
しょっちゅう行けるところでもないので手当たり次第にシャッターを押したのだが、写真を選別したりするのも面倒なので味噌くそ一緒にUPしておきます。枚数が多いので専用のアプリの力を借りて、Photo Gallery として掲載します。

 

上高地Photo Gallery

下の写真をクリックして下さい。フォトギャラリー形式で全部の写真が表示されます(パノラマ、動画は下の「ビューポイント」から)。
撮影Mapも下に掲載しておきますので、一緒にコースを辿ってみて下さい。

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撮影Map

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花とせせらぎの道、目黒川緑道

目黒川

西北西からの北沢川と、南西からの烏山川が三宿の東仲橋付近で合流、目黒川として南東に流れる。
かっては北沢川も烏山川も、目黒川も自然の川として、当然地表部を流れていたのだが、現在北沢川も烏山川もその全流域が暗渠となり、地下を流れているし、目黒川もこのページ掲載のように、三宿の起点から国道246号の大橋(池尻大橋)までの600メートルが暗渠となっている。大橋で国道を潜りその下流は開渠となって地上に顔を出し都市河川となる。
大橋から下流の目黒川は又、桜の名所でもあり花見の時には多いに賑わう。

緑道、せせらぎの道

今回取り上げるのは北沢川と烏山川が合流し目黒川となる、三宿から大橋までの暗渠化された地上部600メートル程の区間。この区間は目黒川緑道として整備され、地下の暗渠とは別に地上部で「せせらぎ」が流れ、大橋で顔を出す目黒川本流に合流される。
このせせらぎの水は実は、都水道局落合水再生センターからの高度処理水が使われている。こう言う形での水流復活は「せせらぎ」のみならず本流も含め都内の至る所で見られ、目黒川本流も例外ではない。処理水の助けを借りず自前で水流を維持している川を探す方が都内では困難かも知れない。

緑道部のせせらぎは、目黒川本流への高度処理水通水事業の際、これに上乗せする形で世田谷区と東京都の間で契約が結ばれ、実現したとのこと。
なおこの時、都との申し合わせで「水質を劣化させることなく目黒川へ水を落とすこと」となっており、送られてきた高度処理水をさらに浄化した上で放流しているとのこと。

 

花の道

上記したように「せせらぎ」復活事業は何ヶ所か見られ、目黒川緑道の上流部、北沢川緑道も趣のあるせせらぎの道が見られる。
その中で特にこの目黒川緑道は、流れに沿って咲き乱れる「花の道」として特筆されるだろう。

年間を通し、いつ行っても季節の花が途絶えることはない。逆においらのような「水辺フェチ」にとって、時に花が邪魔で水が見えにくいと言う贅沢な恨みを感じることさえある。
聞けばこの花の景観を維持する為に、中心となってボランティアで献身的に世話をしている人が居ると言う。或いは掃除や草むしりなど折に触れて近隣が協力しているらしい。さも有りなん。

季節によって表情を変える目黒川緑道花の道を、折に触れご紹介しよう。

 

撮影Map

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王子から遡って氷川台駅脇、正久保橋まで

撮影Map(クリックするとGooglemapと連動して表示されます)

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錦絵でも知られた景勝の地

桜の名所・飛鳥山

千鳥ヶ淵、上野公園などと並び東京でも指折りの桜の名所、飛鳥山。江戸享保年間、徳川吉宗が享保の改革の一貫として整備・造成した公園で、桜もその際に植えられたものらしい。

 

石神井川が刻んだ音無し渓谷

名前としては飛鳥山程有名ではないが、飛鳥山の直ぐ脇に広がる「音無親水公園」は、かっての石神井川流路を整備して造られた公園。私としては飛鳥山よりこちらの方に風情を感じる。

石神井川との関係、地形などについては別途参照して貰うとして、ここでは桜の飛鳥山と、かっての音無渓谷の景観を見て頂きたい。

 

地形図

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撮影Map

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石神井川を下流から辿る

 

石神井川終焉の地、王子

この駄サイトで取り上げている幾つかの川・流れは、原則として上流から歩き始めている。
今回石神井川は反対に、下流側から歩くことにした。理由は特に有りません。敢えて言えば河口に近い王子の地が、地形との関係で非常に興味深く最初に取り上げたかったこと。又丁度花見の季節を迎え、桜の名所王子の飛鳥山から取材を始めようと思ったことなど。

小平市に端を発した石神井川が、北区掘舟三丁目で隅田川に合流、終焉を迎える。
王子はその手前に有って、昔の流路と今の流路の関わりを、地形との関係で見せてくれる貴重な場所。
又江戸時代から行楽の名所とされた飛鳥山や音無し渓谷が、王子駅の直ぐ脇に広がり、こちらも見どころが有る。

 

地形図

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撮影Map

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多摩湖自転車道起点(終点)まで

 

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武蔵野台地中央を貫く直線道路を歩く

 

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東京で最長の、直線(水道)道路

 

多摩湖自転車道と羽村山口軽便鉄道跡

村山貯水池(多摩湖)から境浄水場に続く直線道路

実はこの「多摩湖自転車道」を見つけたのは偶然だったし、つい最近のこと。
石神井川を上流から河口まで通して歩いてみようと思い、3月11日、小金井公園脇の「上流端」から歩き始めたのだが、小金井公園を外れたところで不思議な景色にぶつかった。それが下の写真。
川の土手のようでもあるが土手なら川をはさんで両側に続いている筈。ところが川も無いし平場に500メートル程の土手が1本だけ。そこに石神井川が交差、下をトンネルで抜けている。

後で調べたらこれは「馬の背」と通称されている造形で、村山貯水池(多摩湖)から境浄水場への導水路(水道道路)の一部で有るらしい。この場所は石神井川の谷筋になっており、おそらく谷を挟んだ両側との勾配維持の為に築かれた土盛りなんだろう。この土手の中に導水管が埋設されている訳だ。
しかもこの馬の背を含む導水路全体は見事なほど直線で、その上が自転車道・遊歩道になっていることが分かった。この直線区間は村山貯水池から境浄水場迄ほぼ10キロメートル、直線道路としては東京でも最長区間らしい。

 

入りと出の2本の水道道路

一般に水道道路と呼ばれるモノは真っ直ぐで平坦な造りが多い(甲州街道脇の水道道路羽村山口軽便鉄道跡)。
特に、羽村山口軽便鉄道跡は羽村堰で取水した多摩川の水を、村山貯水池に送る導水管が伏せてあり、その上が「奇跡の1本道」とも言うべき真っ直ぐな遊歩道として住宅街や工場敷地を貫いている。
今回の多摩湖自転車道は逆に、村山貯水池から境浄水場に送る導水管を伏せた直線コースになっている。貯水池を挟んで入りと出の直線道路がペアとなっている訳だ。
羽村山口軽便鉄道跡の直線部分は約6キロ(横田基地横断の、約1.5キロを含んで)に対し、多摩湖自転車道は約10キロメートル。雰囲気として私は前者に1票だが、直線の長さとしては正真正銘東京で1番だろう。
※ なお「多摩湖自転車道」は、この直線コース約10キロと村山貯水池(多摩湖)周遊の約10キロ、合わせて20キロを言うが、私の関心は「水道道路」としての導水管埋設の直線部分。

 

井の頭通りの由来

なお今回調べた過程で、井の頭通りが元々は境浄水場から和田堀給水所を繋ぐ導水路だったことを知った。補強され上が車両通行可能な、今や幹線道路としての井の頭通りとなったのは交通量が増えた後のこと。当初はやはり「水道道路」と呼ばれていたらしい。
そう言われてみれば確かに井の頭通りも真っすぐで平坦だし、甲州街道、京王線を超えたところで和田堀給水所に正面からぶつかり、給水所を迂回している。この不自然なコース取りも今回初めて理解できた。
多摩湖自転車道と甲州街道は境浄水場脇の関前5丁目交差点で、引き継ぐような形で繋がっている。

…と言うことで、石神井川の取材は急きょ取りやめてこの多摩湖自転車道直線部分を歩いてみることとした。

 

馬の背

多摩湖自転車道を知るきっかけとなった馬の背の景観。
下を石神井川が通っている。

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撮影Map

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photomap2.jpg

 

5号隧道から先のルートを探る

5号隧道

4号隧道(赤坂トンネル)までは遊歩道(自転車道)として整備されて、快適に辿れて来た「奇跡の一本道」-羽村山口軽便鉄道跡(同時に羽村堰から村山貯水池までの導水管敷)が、5号隧道でその先の立ち入りが不可になる。

トンネルの入口はフェンスで固く閉ざされ、トンネルの中も水浸しで、仮に入れたとしても進入は困難のようだ。
ここさえ通れるように整備しておいてもらえれば村山貯水池(多摩湖)迄直ぐだし、遊歩道(自転車道)全体の使い勝手も格段に上がるのに、と恨み言の一つも言いたくなるところなのだが、この先には多摩湖への給水設備が有ったりして、あまり一般の立ち入りは避けたいとの事情もおそらく有ってのことだろう。兎も角この5号隧道経由での進行は不可能だ。

と言うことで、今回反対側の西武球場側から探ってみた。

 

撮影Map

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photomap.jpg

『場内散歩』の案内メールを、南魚沼市女子力観光プロモーションチームに送ったら、今日その返事が届いた。
※ 掲示板にそのコピーを載せておきました。

既に「女子力………」のブログでも取り上げてくれていたようだ。
又、公民館城内分館のブログでも気合の入った案内がされていた。

企画は1年間を通してのものだから、相当話題になりそう。
亘は勿論のこと、地元メンバーの心意気とご苦労のおかげです。

この「八海山倶楽部」もチョットばかり鼻が高い感じ。

鬼の顔(おんのつら)登攀

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GWで帰省した際、鬼の顔(おんのつら)に登ってきた

 

鬼の顔は、ここ何年か、一度登ってみたいと思っていて今回それが実現した次第。
鬼の顔の正面、鼻筋に当たるコースを真っすぐ上に登った。実際の勾配は60度位か。しかし実感としてはもっと急に感じる。
木の枝につかまりながら登ったのだが、その枝が無ければ到底姿勢を維持することも出来ない。足を滑らせれば下まで転がり落ちるし、結構緊張した。
登攀時間は20分位だったと思う。

下りは西寄りの、下の写真で言えば左側の稜線(三角形の左の辺)に沿う形で降りた。
降りるときも枝につかまって降りるのだが、枝をしならせながら次の枝まで下りればいいので楽だった。

 

Qの「ふるさと今昔物語」の中で、昔の遊びのことが書かれていた。
俺もそれについてページをUPして有ったのだが、既に「最近のブログ記事」リストからも外れている。……と言うことでそのページへのリンクを掲載しておきます。

しかし今考えても俺の御幼少の時期、かずよし、かつお、わたる といい遊び仲間がいたもんだ。そのうちの亘とは、今また違う形で遊んでいる訳だが。
あの頃の遊びも、今のTVゲームなんかに負けない奥深さを持ったのが有ったなと、改めて思う。しかし如何せん、今じゃ田舎でも都会でも子供の数が少なくて、遊びのメンバーが集まらない。

http://hakkaisan-photo.com/y-ok/2012/06/memory1.html

台風・豪雨と海水温上昇

台風19号が猛烈な勢いを持って近づいている。
これも大型の18号が去ったばかりだって言うのに。

このところ毎年のように「いまだかって経験したことの無いような………」大風や豪雨が襲っている。本当に地球が荒っぽいことになって来た。特に今回の19号は、宇宙ステーションから見た飛行士が、「ここから幾つも台風を見ているが、こんなのは初めて」と言っていた。
稲刈りは概ね済んだようだから良かったが、林檎や梨、或いはビニールハウスなど、大きな被害が無ければいいが。

台風の大型化は海水温の上昇が大きな原因らしい。
その温度の上昇分だけのエネルギーを汲みとって大型化、或いは豪雨の元になっているのだろう。
一旦上がった海水温なんて、人間が制御できないもんな。

この海水温の上昇は台風や豪雨だけの問題じゃ無く、当然冬の豪雪にも関連してくる。それだけ水蒸気を多く含んだ西高東低の風が吹きつけてくる訳だから。
ここ何年かは六日町周辺はそれ程の豪雪にはならなかった。しかし去年だったか一昨年だったか、入広瀬で5メートルを超える積雪になった。今後何処にそう言った豪雪が来てもおかしくない。

 

北陸の豪雪

ところで実はずーっと疑問に思っていたことが有って、どうして北の北海道なんかより北陸、特に新潟の魚沼辺りが雪が多いんだろうと不思議だった。
もう10年近く前、物凄い豪雪の年が有って、実家の雪おろしに帰省した。
新幹線で越後湯沢に降り立ち、駅舎の屋根にうず高く積っている雪が、これから立ち向かう親の仇のように見えて憂鬱になった記憶が有る。

実家の屋根の上で雪と格闘しながら突然、長年の疑問が解けた。
そうなのだ、結局大陸と日本列島との間の、日本海の差し渡しがカギだったのだ、と。
日本列島は弓なりにカーブしていて、大陸との距離が一番長いところが丁度北陸・新潟と言うことになる。
大陸からの乾燥した季節風が日本海を渡ってくる時、その長い差し渡し全てで存分に水蒸気を吸いこみ日本列島の山脈にぶつかる。そして魚沼に豪雪をもたらす。
これから地球温暖化が進むに従って、ますますこの豪雪がひどいことになるんじゃないか、と身震いしたものだ。

今年も是非小雪で有って欲しい。
まるっきり雪が無いとスキー場など困るところも出てくるし、除雪業者も織り込み済みのことだから有る程度の積雪は必要だが、5メートルは困る。スキー客も来れないし、俺ももう歳だ。雪おろしもそろそろ勘弁して欲しい。

鎮守講

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季節はゴールデン・ウィーク直前。気候も暦も最高の時だ。八海山倶楽部にもその辺の雰囲気を感じさせる投稿が寄せられている。それにしてもこの時期に丁度連休が重なるのは、偶然にしてはよく出来過ぎている。
おいらの二十歳前後、未だ実家にいた頃、逆にゴールデン・ウィークだの世間でニュースになっていたボーナスだのが、羨ましいと言うより妬ましかった。うちは酪農と米作りで365日休みなしだし、この時期田圃での作業の真っ最中。当然百姓にボーナスなど無い。
田圃脇の道路を歩く、都会からの帰省と思われる人を横目で見ながら、この時期裏作の牧草刈りだったか堆肥撒きだったかをしながらふてくされていたものだった。

あまり晴れがましい思い出の無かった故郷が、今しきりに懐かしく思い出される。

 

【花】ドライブ、PART2 大王わさび田

4人連れの信州ドライブは、高遠城址公園の後、安曇野の大王わさび田に向かった。
この辺、至る所に水辺が有るようだ。「水辺フェチ」のおいらとしては中々そそられる。

daio-map.gif

 

以前、花粉症とは無縁だった。
花粉症で苦しんでいる人の話を聞いても、大変だなあ、とは思うものの所詮他人ごとで、子供の頃焚き付けの杉っ葉拾いに杉林を掛け回っていた自分とは関係の無いことだと思っていた。

それが6、7年程前、その症状が出るようになった。
とは言っても、最初は花粉症だとは思わず、風邪かなと思っていた。鼻がグズグズして鼻水が出るし、なんとなくボウっとしてだるくなる。こう言った症状は風邪と共通のもんがある。

「こりゃ、花粉症だな」と思い始めたのは、多分5年程前だと思う。特にひどくなったのが一昨年から。

涙は出るわ、眼やにが付くわ、眼はショボショボで瞼が赤く腫れあがる。鼻もグズグズして鼻水が出っぱなし。イイ男が台無しで色気もへったくれもありゃしない。

一昨年もひどかったが特にひどかったのが去年。花粉の飛散量も近年になく多かったらしい。
忘れもしない去年の3月2日(土)、野川流域を歩いた時だった。

基本的に家の中での仕事が中心で、特に冬の間あまり出歩かずに過ごしてきたおいらが、春の陽光の下、カメラを持ち出してのことだったが、てきめんに花粉症が爆発した。川沿いを歩きながらひっきりなしに鼻をかむことになった。

花粉症に限らないが、余程具合が悪くないと病院に行ったり薬を飲んだりしないおいらだったが、堪らずに、試しと言うことも有って始めて市販の花粉症向け目薬を買って使ってみた。
流石薬の効果は顕著で、眼だけでなく鼻の症状も少しは良くなったような気がした。おそらく眼から吸収された成分が鼻の症状にも効いたのだろう。

今年はニュースによると花粉の飛散も少ないとのことで実際症状も今のところ去年ほどではない。それでも去年の薬効果に味をしめて、未だ症状が出ていない2月の28日、病院に行って相談してみた。
「去 年、目薬だけだが市販薬を使ってみたら効果が有ったので、個別に処方して貰ったら効果も格別だろう、と期待して」と医師(女医)に言ったら、その女医は 「市販の薬は、色々成分が入っているので、結構効くのよね」との反応で、「病院で出す薬も特に市販薬と比べて劇的に効く訳ではない。却って効果は穏やかかもしれない」と言われて、目薬と点鼻薬を貰って来た。

花粉の飛散量にもよるのだろうが、この目薬と鼻薬で、症状は大幅に抑えられている。薬は保険を利かせて800円だったと思うが、ティッシュの使用量が去年と比べて劇的に減っているので、その分で800円位はペイ出来そう。

尤も、今まで寒さが続いていたのであまり外に出かけていない。3月9日の多摩川河口歩きが、今年のデビューみたいなものだった。

これから頻繁に出かけるようになった時、症状がどうなるか?

でも、いずれにしても薬嫌いなおいらが、改めて薬の効能を思い知らされた「今日、この頃」。

白糸の滝駐車場からの富士山

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1月19日(日)、八海山倶楽部メンバーの久と秀一、私の3人で、写真撮影を主な目的に富士山周辺の1デードライブに行って来た。
撮影のターゲットは、早朝の「赤富士」であったり、富士山の湧水であったりと、各人思い入れはそれぞれ若干違う。私の狙いはズバリ「富士山湧水巡り」。

……と言うことで、主にその辺の風景を掲載します。
なお、富士山の湧水と言うことで有名な所に「忍野八海」が有って、今回も一応回る予定になっていたのだが、時間が無く回れなかった。又何時かの機会に。

冒頭の写真は、千円札で有名な、本栖湖からの富士山。

fuji_yusui50.jpg

 

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