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故郷を離れて既に40年 東京・武蔵野の水辺を中心とした身近な風景と駄文を発信します
 

 

御岳山ロックガーデン(岩石園)に紅葉を求めて

御岳山(御嶽神社)は4、5回登っているし、そこから続く大岳山も20年以上前に別なルートから登ったことが有った。
御岳山から大岳山に至る途中に「七代の滝」「ロックガーデン」などと言うポイントが有るようなので出かけてみた。
いつもはバスもケーブルカーを使わず、御嶽駅から山頂・御嶽神社まで徒歩で登るのだが、今回はその先が目的だったので時間の関係上バス、ケーブルカーで御岳山頂駅まで行った。帰りはケーブルカーを使わず徒歩で降りたが、転がるように急いで降りたので2、3日筋肉痛に悩まされることとなった。

巨岩と清流・滝、紅葉

七代の滝もロックガーデンも、今盛りの紅葉と相まって東京離れした景観を見せてくれた。ロックガーデンは「東京の奥入瀬」とも呼ばれているらしい。
お陰で当初大岳山まで行く積りだったが時間が足りなくなり、ロックガーデンを歩き終えた地点で引き返した。
何回か登っている御嶽神社から少し足を延ばしたその先に、こんな景観が広がっていたとは今回初めて知った。来年の紅葉シーズンには予め計画を立てて再度登ってみよう。

 

撮影Map

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御岳山・御嶽神社はこちら

御岳渓谷の紅葉はこちら

 

紅葉の上高地、日帰り撮影行

10月14(土)溌の夜行高速バスで上高地入り、翌日未明から、15時発の帰りバス時間まで紅葉の上高地を歩いてきた。
1週間前辺りから当日の天気を気にしてチェックしていたんだが、日が近づくにつれ予報は悪くなる一方、前日の予報はもう最悪。完全に雨を覚悟しながら運を天に任せて出発した。
未明の5時過ぎ大正池でバスを降りたら、空は暗かったが道は乾いていて雨は落ちていなかった。結果的に午前中は曇りのままで持ってくれた。

実は今回、一つの計画が有った。岳沢への登りだ。
岳沢は上高地の至る所で正面に見える穂高の中腹から下の部分、ガレ場のところ。下から眺める岳沢から逆に上高地を見下ろしてみたかった。黄色が主の紅葉も見ごたえがあるようだし。
しかしこれは実現しなかった。昼頃から雨が降り出してカメラが心配だったし、仮に登っても眺望は利かなかっただろう。登山道の途中で引き返した。

兎も角朝から雨っぽかった天気用法が、半日後に押してくれたお陰で、上高地の「銀座通り」紅葉は何とか写真に納めることができた。
今回は岳沢登攀計画も有り、雨も降って来たので小梨平、岳沢湿原から奥には行かなかった。

新緑の上高地」も併せてご覧ください。

 

下田橋

妙正寺川が中野通りと交差する地点が、哲学堂公園への入り口の一つ。中野通りに沿って公園が広がっている。

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下田橋からの妙正寺川

右岸に「哲学の庭」が広がり、その下に「妙正寺川第二調節池」の取水口が開いている。
左岸は10メートルを超える台地から妙正寺川に落ち込んでいて、その崖と台地上に「哲学堂公園」が展開している。

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右岸、哲学の庭

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左岸、哲学堂公園

妙正寺川直ぐ脇の、崖下。崖に決まりごとの湧水箇所が幾つかある、…が、おそらくポンプアップによるものだろうな。

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かっては豊富な湧水が見られたのだろうが。

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妙正寺川脇から、台地上に繋がる石段。

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三祖碑

崖の途中

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台地に上がって

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哲理門

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茶会が開かれていた。
建物の中に、一般入園者は原則入れない。

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六賢臺

右脇の案内板には以下のような文章

ここに東洋的六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている。

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三角尽くしの三学亭

おそらく公園での最高地点だろう。

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硯塚

筆塚と対をなす碑だと思われる。
脇の案内板には以下の文が記されている。

硯塚
井上円了が全国巡游中、求められて各地で揮毫した際に用いた硯を供養した記念碑で、筆塚とともに貴重なものである。

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四聖堂

井上円了が最初に建設した建物で、ソクラテス、カント、孔子、釈迦の四賢人を祀ったこの四聖堂を「哲学堂」と称し、これがそのまま公園の名、公園の始まりとなった。

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宇宙館

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絶対城

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筆塚

崖の途中。
上掲硯塚と対をなす碑だと思われる。脇の案内板には次のような文が記されている。

筆塚
字を書きて、恥をかくのも今暫し
哲学堂の出来るまで

哲学堂は井上円了博士が全国巡游中求められて各地で揮毫した際の謝礼を基金として開設されたのであるが、その謝意を含め、かつ、その筆供養のための記念碑として造られたのがこの筆塚である。

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台地から降りて

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菖蒲池

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江古田川を辿る

 

源流と千川上水からの分水

江古田川は練馬区豊玉地区から中野区江古田地域を流れ、江古田公園(江古田古戦場跡)脇で妙正寺川に注ぐ一級河川。中新井川とも呼ばれる。
練馬区豊玉南1丁目の下篠田橋(交差点)迄暗渠、そこから妙正寺川合流までの下流が開渠となっている。
武蔵野台地の他の河川同様、普段は一級河川のイメージに程遠く、幅数10センチ程の細く僅かな流れしかない。しかし一旦大雨になると溢れんばかりに増水、それを回避する為下流に調整池が設けられている。

元々は現在の練馬区豊玉南三丁目、学田公園付近の中新井池湧き水を源流とした、とされるがその湧水が江戸時代後期に枯れ、北側の千川上水から3本の分水路を切り、水田灌漑に使った後江古田川に落としていたそうだ。そのうちの1本(中新井分水)が千川上水(千川通り)から学田公園までハッキリ確認でき、そのまま江古田川に続いている。
今回はこの中新井分水跡を含め、妙正寺川合流まで辿る。
 

学田公園

1887年(明治20年)、溜池を村人が開墾・埋め立てて水田を作り小作に出して、その小作料を小学校運営の一部に充てたことで、ここを「学田」と称した。1955年(昭和30年)に公園整備した際、公園名称を学田公園としたとされる。

 

地形図

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妙正寺川、平和の森公園から神田川合流まで

引き続き妙正寺川を、平和の森公園から神田川合流まで辿る。
途中、江古田川の合流、江古田の森公園、哲学堂公園などを経て、神田川合流に至る。

 

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妙正寺川(本流)を歩く ― 妙正寺池から平和の森公園

「暗渠の迷宮」とでも言うべき、妙正寺川の支流網・井草川源流部を迷宮に迷いつつ歩いてみた。しかし多分アチコチに歩き残しを残したままだと思うが、キリがないので本命の妙正寺川の本流を辿ってみた。

 

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百花園に萩を求めて

子供の頃、雑草としか見ていなかった萩が、今は一番好もしく趣を感じる花になった。
紅葉の少し前のこの時期、最盛期を迎える萩を求めて向島百花園に行ってみた。百花園は都内では有数の萩の名所で、30メートルにも及ぶ萩のトンネルがある。
トンネルを彩る紅いミヤギノハギは、既に若干(多分2、3日)遅かったが未だ十分見られたし、シロバナハギは今が盛りと咲き誇っていた。

野草園

向島百花園については、下の案内板「向島百花園の沿革」を見て頂くとして(写真をクリックすれば拡大表示されます)、一般の庭園と違って植えられているのは野草、これはこれで中々奥ゆかしい。
開園当初は梅が主体だったようだが、その後ハギやススキなど万葉集や中国、日本の古典に詠まれている植物を集めて、四季を通じ花を見られるようにしたと言う。

掲載写真は全く順不同です。説明も付けていません。
園内のどこに咲いているかなど、撮影Mapを参照しながらご覧ください。

 

フォトギャラリー(全ての写真はこちら)

 

撮影Map

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皇居一般参観-宮殿と反対側から見る二重橋と

 

皇居一般参観に行って来た

宮内庁も今は相当こなれている、と言うか気さくになっていて、公式行事などの無い平日は、午前と午後の二回一般参観を受け付けている。それも特に事前の申請を必要とせず、時間までに参集場所(桔梗門前)に行けば当日その場で受け付けてくれる。手続きも至って簡単。但し免許証などの身分証明書が必要。

一般参観についての宮内庁のホームページはこちら

 

…と言うことで行って来たのだが、手当たり次第にシャッターを押して来たので、画像アプリの助けを借りて並べてみました。
基本的にコースに沿っての写真ですが、振り返っての撮影だったり、往きと帰りで同じ場所を撮ったりと、その辺全く整理していません。

見どころとしては普段立ち入ることのできない宮殿(中には入れない)、正門鉄橋(本来、正式な二重橋)を渡り、正門石橋(一般的にはこちらを二重橋と思っている人が多い)を、普段見慣れているのとは逆方向から見る、等。
今回のコースでも、宮殿やその前の広場などの広さに圧倒されるが、それでも皇居(主に西の丸エリア)全体から見ればホンの一部。

 

大半が外国人だった

受付を経ての参集場所である窓明館にも、何人かの紅毛碧眼を見たが、歩き出してから聞こえてくる言葉は殆ど中国語(だと思う)。アジア系を含めるとおそらく大半が外国人だと思われる。東御苑でも半分は外人だと思われるし、逆に日本人の間ではこの一般参観や東御苑一般開放のことがあまり知られていないのではないか。

東京駅から直ぐ近く、東京のど真ん中に広がる「日本」を堪能出来る皇居は、外国人にとって格好の探索場所になっているのだろう。

 

当日貰った案内図

参観コースは図下側の、赤点線です。

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正門鉄橋から見た正門石橋

下の写真をクリックして下さい。アルバムが開きます。

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乾通り春の一般公開

乾通り秋の一般公開

皇居東御苑

等も併せて参照してください。

 

暗渠の迷宮、桃井支流(仮称)

 

地形図

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

暗渠の迷宮-4、今川支流(観泉寺から井草川合流まで)

 

地形図

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暗渠の迷宮-3、今川支流(桃井四丁目から観泉寺まで)

下井草4丁目26、井草川(緑道)に流れ込む長い支流が有る。便宜上「今川支流(仮称)」とし、2回に分けて取り上げる。最初にその上流部。

 

今川と観泉寺

今川支流(仮称)を歩くうえで、どうしても仁義を切っておかなければならない場所が有る。観泉寺。観泉寺は今川家の菩提寺で今川家累代の墓がある。伽藍も境内も立派で、春の枝垂桜、秋の紅葉も見どころだと言う。

今川氏は、室町時代・戦国時代は駿河国(現静岡県)などを治めた一大大名であったが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたのち没落した。義元の子今川氏真は徳川家康の庇護を受けて京などで暮らし、慶長19年(1614年)に江戸で没した。氏真の嫡孫今川直房は高家として江戸幕府に仕え、朝廷との交渉の功績によって正保2年(1645年)に徳川家光から当地(井草村)を含む新たな知行地を与えられた。以後、当地は幕末まで今川家一円知行の所領として続くことになる。
江戸時代の観泉寺は、今川氏の知行地支配の拠点でもあり、領民からの年貢の取立てや裁判なども寺の門前で行われていた。
今川氏は明治時代に断絶したが、現在の当地の地名「今川」の由来となっている。(Wikより引用)

 

地形図

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撮影Map

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暗渠の迷宮、井草川源流部-2(井草川、三谷公園から妙正寺池)

 

地形図

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暗渠の迷宮、井草川源流部-1(井草川源流、切通し公園から三谷公園)

妙正寺川と井草川

妙正寺川は東京を流れる1級河川で、杉並区妙正寺池に端を発し豊島区高田で神田川に合流する長さ9.7kmの川である(…とされている)。井草川はその妙正寺川の支流で、妙正寺池の上流部に広がり現在全て暗渠化されている(ここでも「水路」「流れ」などと記載する場合も有るが、全て暗渠・緑道である)。
しかしかって、現在の妙正寺川を含めた流域全体を井草川と称していたらしく、途中妙正寺池から注ぐ妙正寺川の方が、その支流の一つに過ぎなかったのだそうだ。又江戸時代以降近年まで、千川上水から井草川に分水を引き、流域の田畑を潤していた時期も有ったそうだ。
いずれにしてもその「歴史物語」はここでは本旨ではないので、現在の姿をそのまま辿ることにする。

暗渠の迷宮、井草川

今回取材してみて驚いたことがある。鹿の角のように入り組んだ妙正寺川と井草川の支流が、ホンの小さな傍流と思われるような川筋まで含めて、、それが暗渠・緑道としてちゃんと住宅街に残っていることだ。ここまでの支流網が形として残っている河川は、武蔵野台地上ではおそらく他に見られない。勿論その支流・傍流の大半は名称さえない。正に「暗渠の迷宮」だ。ここでも説明の便宜上、勝手に支流に名前を付けて(仮称)として扱っている
今回その暗渠の迷宮を、Googlemapストリートビューの助けも借りて、極力忠実に辿ってみた積りだが、お陰でページ数が相当膨らんだ。しかしおそらく見逃している川筋もアチコチ残っているだろう。

切り通し公園と三谷(さんや)公園

切り通し公園は井草川の源流とされる。
三方を高台に囲まれた谷地形の斜面から水が湧き、かっては滝が有ったとされる程に豊富だったのだろう。この湧水源からの流れが井草川の谷を刻み、いわば自然の切り通し地形となっている(地形図参照のこと)。
三谷公園は切り通し公園からの2本の流れと、井草川最上流部とされる原窪支流(仮称)を合わせた3本の流れが合流し、井草川として1本にまとまって妙正寺池目指して流れてゆく、いわば井草川源流部の結節点とも言える場所である。
切り通し公園と三谷公園は、間に杉並工業高校を挟み直線距離で200メートル強。この僅かなエリアに源流部3本の支流がが絡み合う。

西山田んぼ

なお切り通し公園から東側に伸びる井草川の谷筋には、井草川と千川上水からの分水を利用した田んぼが広がっていたようだ。
特に源流部から下のエリアは、所有者の名前からとった「西山田んぼ」が広がっていたらしい。現在の杉並工高はその田んぼを都が買い取って建てたのだそうだ。三谷公園とか都立農芸高校なども同じく、元はこの田んぼだったんだろう。
切り通し公園の近くに、西山屋敷林と言う、「ヤマ」と呼ばれる杉並区でも最大級の林と、その中に、如何にも旧家と思しき「西山家」の屋敷がある。多分この西山田んぼの地主だった人だろう(勝手な憶測で、間違っていたらゴメン)。

これは私の憶測だが、田んぼの用水として使われていたことが、源流部川筋の「鹿の角」を作りだしたのではないだろうか。田んぼにまんべんなく水を行き渡らせる為の水路が、今の暗渠迷宮の元ではなかっただろうか、と。

 

地形図

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※ 井草川上流域全体のPhoto_mapリストは、こちら

 

 

「木曽のマチュピチュ」苗木城址

苗木城(なえぎじょう)は、岐阜県中津川市にあった日本の城。別名は霞ケ城。苗木藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている(Wikipediaから引用)。

マチュピチュと言うのは私の勝手な命名だが、チョットした空中城郭の景観だ。

 

 

撮影Map

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浦島太郎が玉手箱を開けた寝覚ノ床

 

木曽川が作った自然地形

国の名勝に指定されている。
元々は木曽川の水の中で浸食された花崗岩が、上流に設けられた木曽ダム(1968年に運用開始)などにより水位が下がった為に姿を現した景観なんだそうだ。
花崗岩の方状節理と柱状節理、それを侵食する木曽川の急流によってこのような岩の表情が生まれたのだろうが、ダムが出来る前は水の中だった訳だ。

中央本線と寝覚ノ床

もう50年近く前になるが、寝覚ノ床の脇を通る中央本線に乗ったことが有って、列車が寝覚ノ床に差し掛かると、車内放送で寝覚ノ床の案内が流れると共に、徐行しながら走ってくれた。乗客はその案内に従って、遥か下に見える寝覚ノ床を眺めたものだった。当時は鈍行列車だった。
今、そんな計らいも無いんだろうな。

浦島太郎伝説

寝覚の床には、浦島太郎が竜宮城から帰ってきた後の伝説が残っている。

浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにした。旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという(Wikipedia引用)。

 

撮影Map

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中山道奈良井宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

奈良井宿

中山道69次のうち江戸から数えて34番目、木曽路11宿の中で北から2番目の宿場。
奈良井観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

私の印象としては、を扱っているお店や工房らしきものが大半を占めていたように思える。

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。比較的早い時間だったのであまり人けのない奈良井宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

撮影Map

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中山道馬篭宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

 

馬篭宿

中山道中山道六十九次の中、43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町。
島崎藤村の出身地(生家は馬篭で、本陣、庄屋、問屋を兼ねた旧家)でもある。
なお馬篭宿の街並みは、1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により石畳と枡形以外はすべて消失、現在の景観はその後復元されたもの。
馬篭観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。
馬篭は坂の宿場町でもあります。基本的に北の端、坂の上部から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
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撮影Map

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中山道妻籠宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算が立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

妻籠宿

中山道69次のうち江戸から数えて42番目の宿場は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせいたそうだ。
妻籠観光協会と、観光協会による『妻籠の歴史』にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

三原則

妻籠は日本初の重要伝統的建造物群保存地区。
妻籠の人たちは街並みを守るために、家や土地を、「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を守って、歴史ある街並みを後世に伝えていると言うことだが、これも中々容易なことじゃないだろう。

観光資源と言っても、そんなに大きなお金が動く訳じゃないだろうし、補助金が下りる訳でもないだろう。
第一、「三原則」に則ってスーパーもコンビニも無い訳で、市街からも遠いし、住人自身の毎日の生活も大きな制約を受けざるを得まい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。早朝と言うことも有って殆ど人けのない妻籠宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

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禿坂支流と、林試の森公園

禿坂支流(ハゲ坂ではなく、かむろ坂)は、品川区小山台1丁目の都立小山台高校近と思われる地点に端を発し、北上して林試の森公園中央部を、水車門から入ってせせらぎ門までを縦断、公園を抜けた所で羅漢寺川に注ぐ500メートル程の短い支流。
林試の森公園内では、流れや池を構成し、公園内で一番のビューポイントとなっている。が、ただこれがかっての禿坂支流の様相をどれだけ反映しているモノかは分からない。公園内の流れ・池以外は全て暗渠。

ここでは上流端と思われるところから禿坂支流を辿るとともに、林試の森公園も取り上げてみる。

 

地形図

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撮影Map

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羅漢寺川支流、六畝川と入谷川

六畝川も入谷川も、北側から小さな谷を刻んで羅漢寺川に注ぐ支流。特に入谷川は、現在暗渠ながら羅漢寺川水系の中で多分一番かっての姿を彷彿させる。

 

地形図

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒不動から目黒川合流

 

目黒不動尊脇で羅漢寺川本流と入谷川が合流、目黒不動尊境内に沿って流れた後、川の名前の由来となった五百羅漢寺脇を通り、山手通りを超えた後目黒川に注ぐ。

 

地形図

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撮影Map

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒通りから目黒不動

東京都目黒区目黒本町一丁目8辺りに端を発し、下目黒で目黒川に合流する、比較的短い目黒川水系の河川。何本かの支流を持つ。
1964年の東京オリンピックの前後に暗渠化されていて、現在支流を含めて一部が緑道として整備されている。
沿線には林試の森公園、目黒不動尊などが有り、そこからの湧水も集めて流れる。

 

羅漢寺川、名前の由来

目黒不動尊の脇、下目黒三丁目に五百羅漢寺と言う寺院が有って、川の名前はここに由来するのだが、この五百羅漢寺そのものがこの地に移されたのが1908(明治41)年と言うから、そんなに昔からのことじゃなく、かって「不動川」と呼ばれた時期も有ったらしい。現在、規模も知名度も五百羅漢寺より目黒不動尊の方が上だと、私は思うのだがどうして不動川の名が定着せず羅漢寺川になったか?
しかし寺院のサイトなどを見ると五百羅漢寺の羅漢像は中々凄い。拝観が有料で撮影禁止になっているから余り知られていないのかも。
 

 

地形

下の地形図を見て分かるように、複雑に切れ込んでいる山の手台地の、一つの谷地地形に沿って、その両側の崖からの湧水を集めて流れる、武蔵野台地典型的な小河川だっただろうことが推測される。
山の手台地の旧河川の多くに共通のことだが、地下水の供給源であるべき地上が現在はコンクリートやアスファルトで覆われ、かって豊富であっただろう湧水も乏しくなっている。羅漢寺川も目黒川への合流口(排水口)を見ても、普段は殆ど水の流出を見られない。しかし一旦雨が降れば、逆に地中に浸透する余地が無くなった水が側溝等を通して一気に集中、現在下水道に転用されている暗渠は急速に水量が増すのだろう。

 

地形図

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撮影Map

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北沢川緑道、せせらぎの流れ、目黒川緑道合流まで

将軍池付近から続いてきた北沢川緑道は、環七との交差点である宮前橋を越えたところから、せせらぎが整備されていて、「ふれあいの水辺」として市民に親しまれている。

 

 

環七、宮前橋(前回、ここまで)

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地形図

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横に広いのでスクロールして見てください。

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撮影Map

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北沢川

目黒川の支流の一つ。世田谷区上北沢2丁目から3丁目に広がる、都立松沢病院の敷地にある「将軍池」が一応源流とされている。
ただ松沢病院も将軍池も出来たのは近年のことだから、当然その前からこの辺の湧水を源として細々と流れていたのだろう。

1658年(万治元年)、玉川上水からの分水(北澤分水はこちら)が認められ、以来代沢用水として流域の田畑を潤し地域の開発に大きな影響を及ぼしてきた。
1970年代から1980年代にかけ、その全域が暗渠となって地下を流れ、下水としての扱いになっているようだ。その地上部は現在緑道として整備され、特に環七の宮前橋から下流には、人口のせせらぎも作られ、桜の名所、都・区民の憩いの場となっている。
ここでは源流とされている将軍池から、池尻4丁目、目黒川への合流地点までの全ルートを歩いてみた。なお合流地点では烏山川も合流している。

宮前橋から下流はこちら。目黒川緑道はこちら

 

北沢川緑道、再掲

実は八海山倶楽部初期の頃、北沢川緑道を1度取り上げたことが有る。その後写真の整理をした時に、一緒にこのWebデータも廃棄してしまい、ずっと表示されないままだった。
それで今回、再度全コースを辿り直してみた次第。

北沢川緑道はおいらにとって、いわゆる「せせらぎ」に初めて触れた場所。その後の各地の「せせらぎ」、玉川上水などの水辺に興味を持った、いわば原点みたいなところでもある。

 

地形図

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横に広いのでスクロールして見てください。

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撮影Map

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日帰り上高地撮影行

5月19日(金)夜発の夜行高速バスで上高地に行って来た。
翌朝5時半頃大正池に到着、順次梓川を遡りながら、16時15分溌の帰りバスに乗り込むまでの約11時間歩き回って来た(最後の3時間位はベンチで飲んだりうたた寝をして過ごしたけど)。

上高地は今更ここで説明するまでもなく、日本でも指折りの景勝地。
しょっちゅう行けるところでもないので手当たり次第にシャッターを押したのだが、写真を選別したりするのも面倒なので味噌くそ一緒にUPしておきます。枚数が多いので専用のアプリの力を借りて、Photo Gallery として掲載します。

 

上高地Photo Gallery

下の写真をクリックして下さい。フォトギャラリー形式で全部の写真が表示されます(パノラマ、動画は下の「ビューポイント」から)。
撮影Mapも下に掲載しておきますので、一緒にコースを辿ってみて下さい。

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撮影Map

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花とせせらぎの道、目黒川緑道

目黒川

西北西からの北沢川と、南西からの烏山川が三宿の東仲橋付近で合流、目黒川として南東に流れる。
かっては北沢川も烏山川も、目黒川も自然の川として、当然地表部を流れていたのだが、現在北沢川も烏山川もその全流域が暗渠となり、地下を流れているし、目黒川もこのページ掲載のように、三宿の起点から国道246号の大橋(池尻大橋)までの600メートルが暗渠となっている。大橋で国道を潜りその下流は開渠となって地上に顔を出し都市河川となる。
大橋から下流の目黒川は又、桜の名所でもあり花見の時には多いに賑わう。

緑道、せせらぎの道

今回取り上げるのは北沢川と烏山川が合流し目黒川となる、三宿から大橋までの暗渠化された地上部600メートル程の区間。この区間は目黒川緑道として整備され、地下の暗渠とは別に地上部で「せせらぎ」が流れ、大橋で顔を出す目黒川本流に合流される。
このせせらぎの水は実は、都水道局落合水再生センターからの高度処理水が使われている。こう言う形での水流復活は「せせらぎ」のみならず本流も含め都内の至る所で見られ、目黒川本流も例外ではない。処理水の助けを借りず自前で水流を維持している川を探す方が都内では困難かも知れない。

緑道部のせせらぎは、目黒川本流への高度処理水通水事業の際、これに上乗せする形で世田谷区と東京都の間で契約が結ばれ、実現したとのこと。
なおこの時、都との申し合わせで「水質を劣化させることなく目黒川へ水を落とすこと」となっており、送られてきた高度処理水をさらに浄化した上で放流しているとのこと。

 

花の道

上記したように「せせらぎ」復活事業は何ヶ所か見られ、目黒川緑道の上流部、北沢川緑道も趣のあるせせらぎの道が見られる。
その中で特にこの目黒川緑道は、流れに沿って咲き乱れる「花の道」として特筆されるだろう。

年間を通し、いつ行っても季節の花が途絶えることはない。逆においらのような「水辺フェチ」にとって、時に花が邪魔で水が見えにくいと言う贅沢な恨みを感じることさえある。
聞けばこの花の景観を維持する為に、中心となってボランティアで献身的に世話をしている人が居ると言う。或いは掃除や草むしりなど折に触れて近隣が協力しているらしい。さも有りなん。

季節によって表情を変える目黒川緑道花の道を、折に触れご紹介しよう。

 

撮影Map

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王子から遡って氷川台駅脇、正久保橋まで

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錦絵でも知られた景勝の地

桜の名所・飛鳥山

千鳥ヶ淵、上野公園などと並び東京でも指折りの桜の名所、飛鳥山。江戸享保年間、徳川吉宗が享保の改革の一貫として整備・造成した公園で、桜もその際に植えられたものらしい。

 

石神井川が刻んだ音無し渓谷

名前としては飛鳥山程有名ではないが、飛鳥山の直ぐ脇に広がる「音無親水公園」は、かっての石神井川流路を整備して造られた公園。私としては飛鳥山よりこちらの方に風情を感じる。

石神井川との関係、地形などについては別途参照して貰うとして、ここでは桜の飛鳥山と、かっての音無渓谷の景観を見て頂きたい。

 

地形図

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撮影Map

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石神井川を下流から辿る

 

石神井川終焉の地、王子

この駄サイトで取り上げている幾つかの川・流れは、原則として上流から歩き始めている。
今回石神井川は反対に、下流側から歩くことにした。理由は特に有りません。敢えて言えば河口に近い王子の地が、地形との関係で非常に興味深く最初に取り上げたかったこと。又丁度花見の季節を迎え、桜の名所王子の飛鳥山から取材を始めようと思ったことなど。

小平市に端を発した石神井川が、北区掘舟三丁目で隅田川に合流、終焉を迎える。
王子はその手前に有って、昔の流路と今の流路の関わりを、地形との関係で見せてくれる貴重な場所。
又江戸時代から行楽の名所とされた飛鳥山や音無し渓谷が、王子駅の直ぐ脇に広がり、こちらも見どころが有る。

 

地形図

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多摩湖自転車道起点(終点)まで

 

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武蔵野台地中央を貫く直線道路を歩く

 

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東京で最長の、直線(水道)道路

 

多摩湖自転車道と羽村山口軽便鉄道跡

村山貯水池(多摩湖)から境浄水場に続く直線道路

実はこの「多摩湖自転車道」を見つけたのは偶然だったし、つい最近のこと。
石神井川を上流から河口まで通して歩いてみようと思い、3月11日、小金井公園脇の「上流端」から歩き始めたのだが、小金井公園を外れたところで不思議な景色にぶつかった。それが下の写真。
川の土手のようでもあるが土手なら川をはさんで両側に続いている筈。ところが川も無いし平場に500メートル程の土手が1本だけ。そこに石神井川が交差、下をトンネルで抜けている。

後で調べたらこれは「馬の背」と通称されている造形で、村山貯水池(多摩湖)から境浄水場への導水路(水道道路)の一部で有るらしい。この場所は石神井川の谷筋になっており、おそらく谷を挟んだ両側との勾配維持の為に築かれた土盛りなんだろう。この土手の中に導水管が埋設されている訳だ。
しかもこの馬の背を含む導水路全体は見事なほど直線で、その上が自転車道・遊歩道になっていることが分かった。この直線区間は村山貯水池から境浄水場迄ほぼ10キロメートル、直線道路としては東京でも最長区間らしい。

 

入りと出の2本の水道道路

一般に水道道路と呼ばれるモノは真っ直ぐで平坦な造りが多い(甲州街道脇の水道道路羽村山口軽便鉄道跡)。
特に、羽村山口軽便鉄道跡は羽村堰で取水した多摩川の水を、村山貯水池に送る導水管が伏せてあり、その上が「奇跡の1本道」とも言うべき真っ直ぐな遊歩道として住宅街や工場敷地を貫いている。
今回の多摩湖自転車道は逆に、村山貯水池から境浄水場に送る導水管を伏せた直線コースになっている。貯水池を挟んで入りと出の直線道路がペアとなっている訳だ。
羽村山口軽便鉄道跡の直線部分は約6キロ(横田基地横断の、約1.5キロを含んで)に対し、多摩湖自転車道は約10キロメートル。雰囲気として私は前者に1票だが、直線の長さとしては正真正銘東京で1番だろう。
※ なお「多摩湖自転車道」は、この直線コース約10キロと村山貯水池(多摩湖)周遊の約10キロ、合わせて20キロを言うが、私の関心は「水道道路」としての導水管埋設の直線部分。

 

井の頭通りの由来

なお今回調べた過程で、井の頭通りが元々は境浄水場から和田堀給水所を繋ぐ導水路だったことを知った。補強され上が車両通行可能な、今や幹線道路としての井の頭通りとなったのは交通量が増えた後のこと。当初はやはり「水道道路」と呼ばれていたらしい。
そう言われてみれば確かに井の頭通りも真っすぐで平坦だし、甲州街道、京王線を超えたところで和田堀給水所に正面からぶつかり、給水所を迂回している。この不自然なコース取りも今回初めて理解できた。
多摩湖自転車道と甲州街道は境浄水場脇の関前5丁目交差点で、引き継ぐような形で繋がっている。

…と言うことで、石神井川の取材は急きょ取りやめてこの多摩湖自転車道直線部分を歩いてみることとした。

 

馬の背

多摩湖自転車道を知るきっかけとなった馬の背の景観。
下を石神井川が通っている。

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撮影Map

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5号隧道から先のルートを探る

5号隧道

4号隧道(赤坂トンネル)までは遊歩道(自転車道)として整備されて、快適に辿れて来た「奇跡の一本道」-羽村山口軽便鉄道跡(同時に羽村堰から村山貯水池までの導水管敷)が、5号隧道でその先の立ち入りが不可になる。

トンネルの入口はフェンスで固く閉ざされ、トンネルの中も水浸しで、仮に入れたとしても進入は困難のようだ。
ここさえ通れるように整備しておいてもらえれば村山貯水池(多摩湖)迄直ぐだし、遊歩道(自転車道)全体の使い勝手も格段に上がるのに、と恨み言の一つも言いたくなるところなのだが、この先には多摩湖への給水設備が有ったりして、あまり一般の立ち入りは避けたいとの事情もおそらく有ってのことだろう。兎も角この5号隧道経由での進行は不可能だ。

と言うことで、今回反対側の西武球場側から探ってみた。

 

撮影Map

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『場内散歩』の案内メールを、南魚沼市女子力観光プロモーションチームに送ったら、今日その返事が届いた。
※ 掲示板にそのコピーを載せておきました。

既に「女子力………」のブログでも取り上げてくれていたようだ。
又、公民館城内分館のブログでも気合の入った案内がされていた。

企画は1年間を通してのものだから、相当話題になりそう。
亘は勿論のこと、地元メンバーの心意気とご苦労のおかげです。

この「八海山倶楽部」もチョットばかり鼻が高い感じ。

鬼の顔(おんのつら)登攀

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GWで帰省した際、鬼の顔(おんのつら)に登ってきた

 

鬼の顔は、ここ何年か、一度登ってみたいと思っていて今回それが実現した次第。
鬼の顔の正面、鼻筋に当たるコースを真っすぐ上に登った。実際の勾配は60度位か。しかし実感としてはもっと急に感じる。
木の枝につかまりながら登ったのだが、その枝が無ければ到底姿勢を維持することも出来ない。足を滑らせれば下まで転がり落ちるし、結構緊張した。
登攀時間は20分位だったと思う。

下りは西寄りの、下の写真で言えば左側の稜線(三角形の左の辺)に沿う形で降りた。
降りるときも枝につかまって降りるのだが、枝をしならせながら次の枝まで下りればいいので楽だった。

 

Qの「ふるさと今昔物語」の中で、昔の遊びのことが書かれていた。
俺もそれについてページをUPして有ったのだが、既に「最近のブログ記事」リストからも外れている。……と言うことでそのページへのリンクを掲載しておきます。

しかし今考えても俺の御幼少の時期、かずよし、かつお、わたる といい遊び仲間がいたもんだ。そのうちの亘とは、今また違う形で遊んでいる訳だが。
あの頃の遊びも、今のTVゲームなんかに負けない奥深さを持ったのが有ったなと、改めて思う。しかし如何せん、今じゃ田舎でも都会でも子供の数が少なくて、遊びのメンバーが集まらない。

http://hakkaisan-photo.com/y-ok/2012/06/memory1.html

台風・豪雨と海水温上昇

台風19号が猛烈な勢いを持って近づいている。
これも大型の18号が去ったばかりだって言うのに。

このところ毎年のように「いまだかって経験したことの無いような………」大風や豪雨が襲っている。本当に地球が荒っぽいことになって来た。特に今回の19号は、宇宙ステーションから見た飛行士が、「ここから幾つも台風を見ているが、こんなのは初めて」と言っていた。
稲刈りは概ね済んだようだから良かったが、林檎や梨、或いはビニールハウスなど、大きな被害が無ければいいが。

台風の大型化は海水温の上昇が大きな原因らしい。
その温度の上昇分だけのエネルギーを汲みとって大型化、或いは豪雨の元になっているのだろう。
一旦上がった海水温なんて、人間が制御できないもんな。

この海水温の上昇は台風や豪雨だけの問題じゃ無く、当然冬の豪雪にも関連してくる。それだけ水蒸気を多く含んだ西高東低の風が吹きつけてくる訳だから。
ここ何年かは六日町周辺はそれ程の豪雪にはならなかった。しかし去年だったか一昨年だったか、入広瀬で5メートルを超える積雪になった。今後何処にそう言った豪雪が来てもおかしくない。

 

北陸の豪雪

ところで実はずーっと疑問に思っていたことが有って、どうして北の北海道なんかより北陸、特に新潟の魚沼辺りが雪が多いんだろうと不思議だった。
もう10年近く前、物凄い豪雪の年が有って、実家の雪おろしに帰省した。
新幹線で越後湯沢に降り立ち、駅舎の屋根にうず高く積っている雪が、これから立ち向かう親の仇のように見えて憂鬱になった記憶が有る。

実家の屋根の上で雪と格闘しながら突然、長年の疑問が解けた。
そうなのだ、結局大陸と日本列島との間の、日本海の差し渡しがカギだったのだ、と。
日本列島は弓なりにカーブしていて、大陸との距離が一番長いところが丁度北陸・新潟と言うことになる。
大陸からの乾燥した季節風が日本海を渡ってくる時、その長い差し渡し全てで存分に水蒸気を吸いこみ日本列島の山脈にぶつかる。そして魚沼に豪雪をもたらす。
これから地球温暖化が進むに従って、ますますこの豪雪がひどいことになるんじゃないか、と身震いしたものだ。

今年も是非小雪で有って欲しい。
まるっきり雪が無いとスキー場など困るところも出てくるし、除雪業者も織り込み済みのことだから有る程度の積雪は必要だが、5メートルは困る。スキー客も来れないし、俺ももう歳だ。雪おろしもそろそろ勘弁して欲しい。

鎮守講

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季節はゴールデン・ウィーク直前。気候も暦も最高の時だ。八海山倶楽部にもその辺の雰囲気を感じさせる投稿が寄せられている。それにしてもこの時期に丁度連休が重なるのは、偶然にしてはよく出来過ぎている。
おいらの二十歳前後、未だ実家にいた頃、逆にゴールデン・ウィークだの世間でニュースになっていたボーナスだのが、羨ましいと言うより妬ましかった。うちは酪農と米作りで365日休みなしだし、この時期田圃での作業の真っ最中。当然百姓にボーナスなど無い。
田圃脇の道路を歩く、都会からの帰省と思われる人を横目で見ながら、この時期裏作の牧草刈りだったか堆肥撒きだったかをしながらふてくされていたものだった。

あまり晴れがましい思い出の無かった故郷が、今しきりに懐かしく思い出される。

 

【花】ドライブ、PART2 大王わさび田

4人連れの信州ドライブは、高遠城址公園の後、安曇野の大王わさび田に向かった。
この辺、至る所に水辺が有るようだ。「水辺フェチ」のおいらとしては中々そそられる。

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以前、花粉症とは無縁だった。
花粉症で苦しんでいる人の話を聞いても、大変だなあ、とは思うものの所詮他人ごとで、子供の頃焚き付けの杉っ葉拾いに杉林を掛け回っていた自分とは関係の無いことだと思っていた。

それが6、7年程前、その症状が出るようになった。
とは言っても、最初は花粉症だとは思わず、風邪かなと思っていた。鼻がグズグズして鼻水が出るし、なんとなくボウっとしてだるくなる。こう言った症状は風邪と共通のもんがある。

「こりゃ、花粉症だな」と思い始めたのは、多分5年程前だと思う。特にひどくなったのが一昨年から。

涙は出るわ、眼やにが付くわ、眼はショボショボで瞼が赤く腫れあがる。鼻もグズグズして鼻水が出っぱなし。イイ男が台無しで色気もへったくれもありゃしない。

一昨年もひどかったが特にひどかったのが去年。花粉の飛散量も近年になく多かったらしい。
忘れもしない去年の3月2日(土)、野川流域を歩いた時だった。

基本的に家の中での仕事が中心で、特に冬の間あまり出歩かずに過ごしてきたおいらが、春の陽光の下、カメラを持ち出してのことだったが、てきめんに花粉症が爆発した。川沿いを歩きながらひっきりなしに鼻をかむことになった。

花粉症に限らないが、余程具合が悪くないと病院に行ったり薬を飲んだりしないおいらだったが、堪らずに、試しと言うことも有って始めて市販の花粉症向け目薬を買って使ってみた。
流石薬の効果は顕著で、眼だけでなく鼻の症状も少しは良くなったような気がした。おそらく眼から吸収された成分が鼻の症状にも効いたのだろう。

今年はニュースによると花粉の飛散も少ないとのことで実際症状も今のところ去年ほどではない。それでも去年の薬効果に味をしめて、未だ症状が出ていない2月の28日、病院に行って相談してみた。
「去 年、目薬だけだが市販薬を使ってみたら効果が有ったので、個別に処方して貰ったら効果も格別だろう、と期待して」と医師(女医)に言ったら、その女医は 「市販の薬は、色々成分が入っているので、結構効くのよね」との反応で、「病院で出す薬も特に市販薬と比べて劇的に効く訳ではない。却って効果は穏やかかもしれない」と言われて、目薬と点鼻薬を貰って来た。

花粉の飛散量にもよるのだろうが、この目薬と鼻薬で、症状は大幅に抑えられている。薬は保険を利かせて800円だったと思うが、ティッシュの使用量が去年と比べて劇的に減っているので、その分で800円位はペイ出来そう。

尤も、今まで寒さが続いていたのであまり外に出かけていない。3月9日の多摩川河口歩きが、今年のデビューみたいなものだった。

これから頻繁に出かけるようになった時、症状がどうなるか?

でも、いずれにしても薬嫌いなおいらが、改めて薬の効能を思い知らされた「今日、この頃」。

白糸の滝駐車場からの富士山

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1月19日(日)、八海山倶楽部メンバーの久と秀一、私の3人で、写真撮影を主な目的に富士山周辺の1デードライブに行って来た。
撮影のターゲットは、早朝の「赤富士」であったり、富士山の湧水であったりと、各人思い入れはそれぞれ若干違う。私の狙いはズバリ「富士山湧水巡り」。

……と言うことで、主にその辺の風景を掲載します。
なお、富士山の湧水と言うことで有名な所に「忍野八海」が有って、今回も一応回る予定になっていたのだが、時間が無く回れなかった。又何時かの機会に。

冒頭の写真は、千円札で有名な、本栖湖からの富士山。

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土改前の風景が時々頭をかすめる。ハッキリ思い描ける場所も有るし、おぼろげにしか思い出せない所も有る。
その中で、昨夜、唐突に「かざんぱら」を、そのことばと共に思い出した。

…と言っても、藤原以外の人には何のことか分からないだろう。
亘は当然分かるだろうが、秀一は分かるかな?

かざんぱら、おそらく「風の原」が元になっての地名だが、なんと風雅な呼び名だ。それに茫漠とした語感もある。
場所は今の「藤原団地」、前の東邦亜鉛社宅団地の、一番藤原よりの辺り。

土改前はあの辺一帯畑で、かざんぱらには、畑から拾い上げたのだと思うが、石藪みたいなのが有って、木が3、4本立っていた。
かざんぱらで道が二つに分かれて、少し右寄りの道を100メートル足らず歩くと、畑が切れてそこから池田原の田んぼが広がっていたし、池田川を超えて上原に続いていた。今のメインロード。
左の細い道を下がると、池田川の下流に繋がる筈だが、子供の頃はそこまで行ったことは多分無かった。今なら幾らでも無い距離だが。

 

昔の、土改前の風景を思い出す時、墓場がランドマークになっている。墓場が記憶の点となって、それを繋ぐ形で道や周りの風景が思い出されてくる。
中でやはり一番強烈なのは、自分たち藤原のしん墓(死ん墓)と、みょっちの墓だったな。
今、当時のまま残されていれば結構な被写体になっているだろうが。

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新宿二丁目、ゲイの町

Wikipediaによると、新宿二丁目は大阪市北区堂山町と並んで世界に冠たるゲイ・タウンとして知られている。通称はニチョ、二丁目。新宿通りから靖国通りに抜ける約230メートルの仲通りを中心に、その周りの路地などを含め、450店舗程のゲイバーやゲイグッズショップ、同性愛者同士が入れるホテルなどが林立しているそうな。

今回初めてここに踏み込んでみた。
実はもう少し隠避な雰囲気をイメージしていた。実際そう言った雰囲気の店構えも有るには有るのだが、ただ通路を歩いている分にはそれ程には感じない。歌舞伎町などと比べても地味な感じ。何の予備知識もなく入り込んだら、或いはそれと気付かずに通り過ぎたかも知れない。店舗数も450も有るようには感じない。しかし一つの雑居ビルに何店舗も入っていたりするのだろう。隠避なのはその店の中であって外からは窺い知れないのかも。
かと言ってその店の中に入って、撮影取材も出来ないしその勇気もない。本来ゲイバーは、女性客や「普通」の男性客の入店は歓迎しないらしい。そう言う客の出入りする店にはゲイが敬遠して寄り付かなくなるのだそうだ。そんなところに迂闊に飛び込んだら菊の花が血に染まる。

夜の9時半頃に行ったのだが、通行客もまばら。これも歌舞伎町などとは違っていた。既にその道の者どうし真っ直ぐ目指す店に直行するのかも知れない。通路であれこれひやかしたり入る店を物色して歩くなど、他の歓楽街に有りがちなことがここでは少ないと言うことか。
そもそもここに集まる人たちは数的にはマイノリティであって、ごった返す程の絶対数が本来無いのだろうな。
この辺、いずれも「その道」の門外漢である私の推測。

※ 下の久からのコメントにも有るように、人出のピークは日付を超えてからのようだ。人出がまばらだったのは時間帯が早すぎた為らしい。
今度、12時過ぎに一度行って見よう。

……と言うことで、予備知識も無く事情にも疎い私の、取り敢えず第一回目の探訪記。
説明するだけの知識も無いので写真を羅列するだけですが、雰囲気だけでも感じて下さい。と言って、最初に書いたように、外から見るだけでは概して普通の雰囲気です。
又、やはりここでの撮影、特に夜の撮影に必須な三脚を立ててカメラを構えるのは若干気が引ける。特に客と思しき人達にモロにカメラを向ける勇気は私には無かった。

 

新宿御苑入り口近くから見る、仲通り(1)

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8月13日から16日まで、実家に帰省して来た。
とは言っても、先月から施設に入ったおふくろの泊り帰宅が14日にあり、身の自由が利かないおふくろが家にいる間、誰か付いていなければならない為、日ごろ地元の姉妹たちにおんぶに抱っこの世話を掛けている身としては、その役を買って出たと言うところで、実際はお盆などと浮かれている状態ではなかった。
そんなこんなで、殆ど出かけることも無かった。

写真はその合間に身近な所を切り撮った分で、自分の記録といった意味での掲載。脈絡もなく単なる羅列。

 

雷電様

冬でもない限り実家に帰省すると、たいていは足を延ばす。
亘も「こもれびの歌(藤原)」で書いているように、やぶ蚊と言うかブヨと言うか、本当にうるさい。眼の中に飛び込んでくるのが煩わしい。

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冬枯れの中、風景は無彩色で写真を撮っても見栄えがしないし、かと言ってこれと言ったネタも無い。
青春時代の話題を無理やり引っ張りだして、高座を繋ぐことにするか。

加茂農林

私の中学の母校は当然城内中学校だが、百姓の「期待される後継ぎ像」だったので、高校は加茂農林高校と云うところに進んだが、家からは遠かったので3年間学校の寮で過ごした。
加茂農林は全県を学区としていたので、遠い所からの生徒を対象にその頃でもそんな風に寮が有った訳だが、元々かっての加茂農林は全寮制だったし、一時期4年制を敷いた時も有った。その辺のことは、これからの話の展開に関係するのだが、ともかく私が在校していた頃は既に全寮制は廃止されていて、遠隔地の生徒だけが寮に入っていた訳です。

その寮で語り継がれてきた恐ろしい話、「加茂農林七不思議」の一端をご紹介しよう。

巣鴨 とげぬき地蔵

 

とげぬき地蔵入り口

下の写真、向かって右は白山通り(17号線)、ここから斜めに分岐しておばあちゃんの原宿、「地蔵通り商店街」が通る。とげぬき地蔵はこの通りを100メートル程行った、向かって右側に有る。

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猫も杓子も規制緩和

総選挙も最終盤、長引く不景気・デフレ対策が大きな争点となっているが、一部の政党を除く各党が口を揃えて「規制緩和」「競争原理の推進」を主張している。

 

素朴な疑問

この、新自由主義的「規制緩和」「自由競争推進」手放し肯定論に対し、言いたいことはいっぱいあるが、その前に先ず素朴な疑問。

  1. 規制緩和を唱える人は、一体今、どんな規制が障害となって自由な企業活動が妨げられ、経済の成長を損なっていると言うのだろうか?
  2. 一体これ以上、日本のどこを規制緩和し、自由競争を推進したらデフレから脱却でき、景気が上向くと言うのだろうか?

聞こえてくるのはスローガンだけで、項目を挙げての具体的な答えは誰からも聞こえてこない。
維新の会の石原代表が、政見放送の中で「例えば……」として唯一持ち出して来たのが、何と日本の会計制度が単式簿記だと言うこと。それで官僚がちゃんとした見通しを持てないんだと。
具体的に問われればこんなことしか挙げることが出来ない。「言うにコト欠いて」とはこう云うことだろう。呆れてモノも言えない。

デフレが続き、日本経済が落ち込んでいるのは事実だ。先進国の中で唯一「成長の止まった国」と言われて10年以上にもなる。
その間、一貫して政権を握り、やろうと思えば規制緩和でも何でも出来た筈のアレコレの政党とそこから枝分かれした連中が、選挙を前にして官僚に罪をなすりつけてのいい訳が、「規制緩和」のスローガンじゃないのか。

ついでにここで(高級)官僚について云っておけば、この「官僚バッシング」は出来レースだ。選挙の洗礼を受けない官僚に取って、こんなバッシングは痛くも痒くも無い。
高級官僚に取って一番の痛手は「天下りの禁止」。国会で根本的な禁止が決められたことは無い。

 

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ゴーゴーと音を立てて時間が通り過ぎ、師走も既に10日過ぎ。
ふるさとでは吹雪のニュースがこちらにも流れて来る。東京も寒いには寒いが天気だけは宅配便で送りたいような晴天が続く。

それは兎も角、熱燗のおいしい時期です。
酒を大きく醸造酒と蒸留酒、二つに分けるとして、私は専ら醸造酒派です。夏は発泡酒を含む冷たいビール系。冬は熱燗。合間に時々ワイン、稀に紹興酒。
蒸留酒のウイスキーは今全く飲まないし、焼酎も殆ど呑みません(貰えば呑む)。

 

最初に全然役に立たない話

枝豆の上手な食べ方

枝豆の「おいしい食べ方」ではなく、「上手な食べ方」。

一皿の枝豆を何人かで一緒につまむ場合を考えます。
食べるときに、先ず一粒だけ口の中に入れ、残りは鞘のまま横に置きます。
そうやって取り分けて行き、皿の中の枝豆がすっかり無くなってから、自分だけ、残しておいた豆をやおら食べる、と言う寸法です。

他人が食べられないとき、自分だけ食べると言うのはなんとも言えず幸せなもんです。
ただ豆は「上手に」食べられても、友達は間違いなく減って行きます。
枝豆の為なら、友達の一人や二人………、と言う人向きです。

 

 

泊ると晒す、妾と姿

中学の時、国語の先生は浅島先生だった。
三合のかまどの灰も無かったらしく、地元の佐渡で婿に行き児玉姓になったのだが、この浅島先生から、「泊と晒は、昔の国語の学者が間違えたんだ」と聞かされたことが有る。

 

以前、Community掲示板に掲載した文章を、掲示板閉鎖に伴いこちらに移転しました。若干の補足を加えて。
地元以外の人には勝手が分からないかも知れませんが、悪しからず。

 

名称未設定-2.jpgズーズー弁

私が出た高校は新潟県内全域を学区としていて、遠方からの生徒の為に寮が有った。
遠く魚沼からの私は、県内のアチコチから来た生徒と共にこの寮で3年間過ごした。

既に半世紀も前の話で、当時、寮に入った一年生は掃除や上級生のお使い等、旧軍隊内務班の新兵と同じような扱いだった。それだけに「新兵」同士の意思疎通が、日常のそう言ったアレコレをつつがなくこなし、上級生に怒鳴られずに済む為にも必須のことだったのだが………、

私と相部屋になったもう一人の一年生が、岩船郡山北村、今は村上市に合併されているが、兎も角新潟県の最北端、山形との県境からの出身だった。
…で、この男の言葉がサッパリ分からない。我が人生で初めて聞く生のズーズー弁なんだな。

ズーズー弁は新発田(すばた)辺りから始まるが、北上するにつれてその度合いが顕著になり、県境の岩船で最高潮に達する。
同じ岩船からの出身者は何人か居たのだが、この男はその中で、おおらかに育ったと言うか天真爛漫と言うか、生まれ育ったままの言葉を何も飾ることなくそのまま話す。
意志疎通の前にそもそも言っていることが分からない。
そのうち、多少その訛りが取れたのかこちらが慣れたのか、「日常業務」をこなす上で支障無くなったが、暫くは本当に往生した。

南北に長い海岸線を持つ新潟県、かと言って南端の糸魚川や西頸城で、言葉に極端な違和感を感じたことは無いから、やはり言葉に関して岩船は、同じ新潟県でも別の世界と言う印象だった。

 

団塊の世代』で、目先に迫った親父の死、それに続く葬式への懸念に触れたら、秀一から「しんごと(死に事)は『仕事』で、大変だな」と言うようなコメントを貰った。
確かに葬式は大仕事だ。

 

団塊の世代

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かぐや姫.jpg

親父が死ぬ。

10日程前、「親父が出血して倒れた」との電話が実家から有った。
胃潰瘍での出血だったが取りあえずの処置で今は小康状態。しかし再度の出血で何時どうなるか分からない。
90歳だから死ぬにしても歳に不足は無いし、私としても親父の死そのものにそれ程の感慨は無い。薄情な息子だ。今は親を送る初めての葬儀の方に頭が行っている程度。

親父の死は死として、改めて世代について考えてみた。

 

改装工事を続けていた東京駅が、新装オープンをまじかに、光のショーを行った。
今日9月22日(土)と23日(日)の2夜、20時からそれぞれ3回行うとのことだったが、今日はどう言う都合か1回で終わってしまった。
東京駅の駅舎をそのままスクリーン代わりに、凹凸を計算してそれに合わせ、数十台のプロジェクターを使ってCGによる映像を投影したもの。

23日には東京駅駅舎全面を使って、大がかりにショーをしたようだ。しかも予告通り3回。でも22日と同じだと思って行かなかった。知ってたら行ってたのに。なんだよ。

動画を掲載しておきました。Windows Media Player用です。

No1

No2

No3

YouTubeにも動画を投稿しておきました。上のリンクで見れない方はこちらから。

http://www.youtube.com/watch?v=3liWqoVsC20&feature=youtu.be

http://www.youtube.com/watch?v=vnurMz8ctrY&feature=youtu.be

http://www.youtube.com/watch?v=vkxfrzXpBhY&feature=youtu.be

tokyostation1.jpg

夜も眠れず

普段何の不思議も無く問題意識にも昇っていなかったことが、ある日急にとても不思議に思えて「夜も眠れない」ことが有る。
何故、屁はけつから出るのだろう?
物性物理学界の隠れた疑問にアカデミックに迫る、異色の問題提起。

「けつ等と汚い言葉を使うな、上品に尻と言え」と言われそうだが、以前、けつ膜炎を尻膜炎と言ってひどく叱られたことが有る。ここでは「けつ」で通します。悪しからずご了承ください。

 

ムセェ

ツツと同じく、地域的にどの範囲まで通用するものか分からないが、故郷には「ムセェ」と言う言葉が有る。ツツと違いムセェは、私が未だ家にいた頃には普通に使われていたし、多分今でも残っているんじゃないかな。
「むさい」と言う言葉は共通語としても有って「爺むさい」等の言い方で、「汚らしい」と言った意味で使われる。若しかして語源的に根元で繋がっているのかも知れないが、わが故郷の「ムセェ」の意味はそれと若干違う。

「ムセェ」の意味は、(多すぎて)「うんざりする」とか、「持て余す」と言ったところ。
畦草刈りや畑の草むしりで、中々終わりが見えない時、腰を伸ばしながら「えーィ!ムセェなあ」等と嘆息する。
この辺、共通語の「むさい」と共通していなくもない。しかしわが「ムセェ」は、これから述べるように中々味の有る言葉なのだ。

 

あきくさ.jpgツツ

地域的にどの範囲まで通用するのか知らないが、故郷には「ツツ」と言う言葉が有る。いや、「有った」と言うのが正確か。私の子供の頃は結構使った記憶が有るが今は殆ど使われていない。使われてはいないが、我々の年代なら言われれば多分思い出す言葉だろう。
意味は「もつれてほどけない」とか「こんがらがる」とか言うことで、糸や髪の毛などが絡み合っている状況を言う。

何故今使われなくなったのか?
それはラジオやTVを通して、方言一般が標準語に置き換わって行った事情が有るとして、ツツと言う言葉で表現される現象そのものが、身の回りから見られなくなったことが大きいのだろう。

今日はこのツツについての思い出と大考察


両国、江戸東京博物館

江戸、と言う時代は世界史の中でもユニークな位置を占めるようで、近年各方面から注目されているようだ。
ここはその江戸の生活・文化、東京への変遷などを、実際の現物史料や原寸・縮小模型、ジオラマ等、豊富な視覚資料で見せてくれる。

場所は、JR総武線 両国駅西口下車 徒歩3分、或いは、都営地下鉄大江戸線 両国駅(江戸東京博物館前) A4出口 徒歩1分
国技館と隣接している。

隣接する国技館との調和を考え、高床式のユニークな構造の建物になっていると言うが、建物については賛否分かれるようだ。東京下町の景観を損ねているとの批判もあるとのこと。
私ももう少し江戸の風情を感じさせるシックな雰囲気が有ってもいいのでは、と思わないでもない。

edo28.jpg

 

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