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故郷を離れて既に40年 東京・武蔵野の水辺を中心とした身近な風景と駄文を発信します
 

 

「木曽のマチュピチュ」苗木城址

苗木城(なえぎじょう)は、岐阜県中津川市にあった日本の城。別名は霞ケ城。苗木藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている(Wikipediaから引用)。

マチュピチュと言うのは私の勝手な命名だが、チョットした空中城郭の景観だ。

 

 

撮影Map

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浦島太郎が玉手箱を開けた寝覚ノ床

 

木曽川が作った自然地形

国の名勝に指定されている。
元々は木曽川の水の中で浸食された花崗岩が、上流に設けられた木曽ダム(1968年に運用開始)などにより水位が下がった為に姿を現した景観なんだそうだ。
花崗岩の方状節理と柱状節理、それを侵食する木曽川の急流によってこのような岩の表情が生まれたのだろうが、ダムが出来る前は水の中だった訳だ。

中央本線と寝覚ノ床

もう50年近く前になるが、寝覚ノ床の脇を通る中央本線に乗ったことが有って、列車が寝覚ノ床に差し掛かると、車内放送で寝覚ノ床の案内が流れると共に、徐行しながら走ってくれた。乗客はその案内に従って、遥か下に見える寝覚ノ床を眺めたものだった。当時は鈍行列車だった。
今、そんな計らいも無いんだろうな。

浦島太郎伝説

寝覚の床には、浦島太郎が竜宮城から帰ってきた後の伝説が残っている。

浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにした。旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという(Wikipedia引用)。

 

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中山道奈良井宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算の立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降嫁の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

奈良井宿

中山道69次のうち江戸から数えて34番目、木曽路11宿の中で北から2番目の宿場。
奈良井観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

私の印象としては、を扱っているお店や工房らしきものが大半を占めていたように思える。

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。比較的早い時間だったのであまり人けのない奈良井宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

撮影Map

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中山道馬篭宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算の立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降下の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

 

馬篭宿

中山道中山道六十九次の中、43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町。
島崎藤村の出身地(生家は馬篭で、本陣、庄屋、問屋を兼ねた旧家)でもある。
なお馬篭宿の街並みは、1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により石畳と枡形以外はすべて消失、現在の景観はその後復元されたもの。
馬篭観光協会にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。
馬篭は坂の宿場町でもあります。基本的に北の端、坂の上部から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

 

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中山道妻籠宿

中山道

中山道は江戸と京都を結ぶ五街道の一つ。山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。
距離的には東海道が近いのだが、東海道は途中大井川の渡しなどが有り、雨で足止めを食うことも有って、日程の計算の立ちやすい中山道を選ぶ旅人も多かったようだ。なお和宮降下の際も東海道でなく中山道を通ったとのこと。

妻籠宿

中山道69次のうち江戸から数えて42番目の宿場は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせいたそうだ。
妻籠観光協会と、観光協会による『妻籠の歴史』にリンクを張らせて貰いましたので、詳細はこちらを参照して下さい。

三原則

妻籠は日本初の重要伝統的建造物群保存地区。
妻籠の人たちは街並みを守るために、家や土地を、「売らない・貸さない・壊さない」の三原則を守って、歴史ある街並みを後世に伝えていると言うことだが、これも中々容易なことじゃないだろう。

観光資源と言っても、そんなに大きなお金が動く訳じゃないだろうし、補助金が下りる訳でもないだろう。
第一、「三原則」に則ってスーパーもコンビニも無い訳で、市街からも遠いし、住人自身の毎日の生活も大きな制約を受けざるを得まい。

 

撮影

2017年7月、訪ねて来ました。早朝と言うことも有って殆ど人けのない妻籠宿を撮ることが出来ました。
基本的に北の端から順に撮ってありますが、必ずしも順番どおりでは有りません。撮影Mapと合わせてご覧ください。
写真枚数が多いので、アプリの力を借りてPhoto Galleryとしてまとめました。

 

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禿坂支流と、林試の森公園

禿坂支流(ハゲ坂ではなく、かむろ坂)は、品川区小山台1丁目の都立小山台高校近と思われる地点に端を発し、北上して林試の森公園中央部を、水車門から入ってせせらぎ門までを縦断、公園を抜けた所で羅漢寺川に注ぐ500メートル程の短い支流。
林試の森公園内では、流れや池を構成し、公園内で一番のビューポイントとなっている。が、ただこれがかっての禿坂支流の様相をどれだけ反映しているモノかは分からない。公園内の流れ・池以外は全て暗渠。

ここでは上流端と思われるところから禿坂支流を辿るとともに、林試の森公園も取り上げてみる。

 

地形図

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撮影Map

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羅漢寺川支流、六畝川と入谷川

六畝川も入谷川も、北側から小さな谷を刻んで羅漢寺川に注ぐ支流。特に入谷川は、現在暗渠ながら羅漢寺川水系の中で多分一番かっての姿を彷彿させる。

 

地形図

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒不動から目黒川合流

 

目黒不動尊脇で羅漢寺川本流と入谷川が合流、目黒不動尊境内に沿って流れた後、川の名前の由来となった五百羅漢寺脇を通り、山手通りを超えた後目黒川に注ぐ。

 

地形図

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羅漢寺川本流(暗渠)を辿る-目黒通りから目黒不動

東京都目黒区目黒本町一丁目8辺りに端を発し、下目黒で目黒川に合流する、比較的短い目黒川水系の河川。何本かの支流を持つ。
1964年の東京オリンピックの前後に暗渠化されていて、現在支流を含めて一部が緑道として整備されている。
沿線には林試の森公園、目黒不動尊などが有り、そこからの湧水も集めて流れる。

 

羅漢寺川、名前の由来

目黒不動尊の脇、下目黒三丁目に五百羅漢寺と言う寺院が有って、川の名前はここに由来するのだが、この五百羅漢寺そのものがこの地に移されたのが1908(明治41)年と言うから、そんなに昔からのことじゃなく、かって「不動川」と呼ばれた時期も有ったらしい。現在、規模も知名度も五百羅漢寺より目黒不動尊の方が上だと、私は思うのだがどうして不動川の名が定着せず羅漢寺川になったか?
しかし寺院のサイトなどを見ると五百羅漢寺の羅漢像は中々凄い。拝観が有料で撮影禁止になっているから余り知られていないのかも。
 

 

地形

下の地形図を見て分かるように、複雑に切れ込んでいる山の手台地の、一つの谷地地形に沿って、その両側の崖からの湧水を集めて流れる、武蔵野台地典型的な小河川だっただろうことが推測される。
山の手台地の旧河川の多くに共通のことだが、地下水の供給源であるべき地上が現在はコンクリートやアスファルトで覆われ、かって豊富であっただろう湧水も乏しくなっている。羅漢寺川も目黒川への合流口(排水口)を見ても、普段は殆ど水の流出を見られない。しかし一旦雨が降れば、逆に地中に浸透する余地が無くなった水が側溝等を通して一気に集中、現在下水道に転用されている暗渠は急速に水量が増すのだろう。

 

地形図

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北沢川緑道、せせらぎの流れ、目黒川緑道合流まで

将軍池付近から続いてきた北沢川緑道は、環七との交差点である宮前橋を越えたところから、せせらぎが整備されていて、「ふれあいの水辺」として市民に親しまれている。

 

 

環七、宮前橋(前回、ここまで)

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地形図

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北沢川

目黒川の支流の一つ。世田谷区上北沢2丁目から3丁目に広がる、都立松沢病院の敷地にある「将軍池」が一応源流とされている。
ただ松沢病院も将軍池も出来たのは近年のことだから、当然その前からこの辺の湧水を源として細々と流れていたのだろう。

1658年(万治元年)、玉川上水からの分水(北澤分水はこちら)が認められ、以来代沢用水として流域の田畑を潤し地域の開発に大きな影響を及ぼしてきた。
1970年代から1980年代にかけ、その全域が暗渠となって地下を流れ、下水としての扱いになっているようだ。その地上部は現在緑道として整備され、特に環七の宮前橋から下流には、人口のせせらぎも作られ、桜の名所、都・区民の憩いの場となっている。
ここでは源流とされている将軍池から、池尻4丁目、目黒川への合流地点までの全ルートを歩いてみた。なお合流地点では烏山川も合流している。

宮前橋から下流はこちら。目黒川緑道はこちら

 

北沢川緑道、再掲

実は八海山倶楽部初期の頃、北沢川緑道を1度取り上げたことが有る。その後写真の整理をした時に、一緒にこのWebデータも廃棄してしまい、ずっと表示されないままだった。
それで今回、再度全コースを辿り直してみた次第。

北沢川緑道はおいらにとって、いわゆる「せせらぎ」に初めて触れた場所。その後の各地の「せせらぎ」、玉川上水などの水辺に興味を持った、いわば原点みたいなところでもある。

 

地形図

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撮影Map

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上高地

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日帰り上高地撮影行

5月19日(金)夜発の夜行高速バスで上高地に行って来た。
翌朝5時半頃大正池に到着、順次梓川を遡りながら、16時15分溌の帰りバスに乗り込むまでの約11時間歩き回って来た(最後の3時間位はベンチで飲んだりうたた寝をして過ごしたけど)。

上高地は今更ここで説明するまでもなく、日本でも指折りの景勝地。
しょっちゅう行けるところでもないので手当たり次第にシャッターを押したのだが、写真を選別したりするのも面倒なので味噌くそ一緒にUPしておきます。枚数が多いので専用のアプリの力を借りて、Photo Gallery として掲載します。

 

上高地Photo Gallery

下の写真をクリックして下さい。フォトギャラリー形式で全部の写真が表示されます(パノラマ、動画は下の「ビューポイント」から)。
撮影Mapも下に掲載しておきますので、一緒にコースを辿ってみて下さい。

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撮影Map

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花とせせらぎの道、目黒川緑道

目黒川

西北西からの北沢川と、南西からの烏山川が三宿の東仲橋付近で合流、目黒川として南東に流れる。
かっては北沢川も烏山川も、目黒川も自然の川として、当然地表部を流れていたのだが、現在北沢川も烏山川もその全流域が暗渠となり、地下を流れているし、目黒川もこのページ掲載のように、三宿の起点から国道246号の大橋(池尻大橋)までの600メートルが暗渠となっている。大橋で国道を潜りその下流は開渠となって地上に顔を出し都市河川となる。
大橋から下流の目黒川は又、桜の名所でもあり花見の時には多いに賑わう。

緑道、せせらぎの道

今回取り上げるのは北沢川と烏山川が合流し目黒川となる、三宿から大橋までの暗渠化された地上部600メートル程の区間。この区間は目黒川緑道として整備され、地下の暗渠とは別に地上部で「せせらぎ」が流れ、大橋で顔を出す目黒川本流に合流される。
このせせらぎの水は実は、都水道局落合水再生センターからの高度処理水が使われている。こう言う形での水流復活は「せせらぎ」のみならず本流も含め都内の至る所で見られ、目黒川本流も例外ではない。処理水の助けを借りず自前で水流を維持している川を探す方が都内では困難かも知れない。

緑道部のせせらぎは、目黒川本流への高度処理水通水事業の際、これに上乗せする形で世田谷区と東京都の間で契約が結ばれ、実現したとのこと。
なおこの時、都との申し合わせで「水質を劣化させることなく目黒川へ水を落とすこと」となっており、送られてきた高度処理水をさらに浄化した上で放流しているとのこと。

 

花の道

上記したように「せせらぎ」復活事業は何ヶ所か見られ、目黒川緑道の上流部、北沢川緑道も趣のあるせせらぎの道が見られる。
その中で特にこの目黒川緑道は、流れに沿って咲き乱れる「花の道」として特筆されるだろう。

年間を通し、いつ行っても季節の花が途絶えることはない。逆においらのような「水辺フェチ」にとって、時に花が邪魔で水が見えにくいと言う贅沢な恨みを感じることさえある。
聞けばこの花の景観を維持する為に、中心となってボランティアで献身的に世話をしている人が居ると言う。或いは掃除や草むしりなど折に触れて近隣が協力しているらしい。さも有りなん。

季節によって表情を変える目黒川緑道花の道を、折に触れご紹介しよう。

 

撮影Map

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王子から遡って氷川台駅脇、正久保橋まで

撮影Map(クリックするとGooglemapと連動して表示されます)

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錦絵でも知られた景勝の地

桜の名所・飛鳥山

千鳥ヶ淵、上野公園などと並び東京でも指折りの桜の名所、飛鳥山。江戸享保年間、徳川吉宗が享保の改革の一貫として整備・造成した公園で、桜もその際に植えられたものらしい。

 

石神井川が刻んだ音無し渓谷

名前としては飛鳥山程有名ではないが、飛鳥山の直ぐ脇に広がる「音無親水公園」は、かっての石神井川流路を整備して造られた公園。私としては飛鳥山よりこちらの方に風情を感じる。

石神井川との関係、地形などについては別途参照して貰うとして、ここでは桜の飛鳥山と、かっての音無渓谷の景観を見て頂きたい。

 

地形図

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石神井川を下流から辿る

 

石神井川終焉の地、王子

この駄サイトで取り上げている幾つかの川・流れは、原則として上流から歩き始めている。
今回石神井川は反対に、下流側から歩くことにした。理由は特に有りません。敢えて言えば河口に近い王子の地が、地形との関係で非常に興味深く最初に取り上げたかったこと。又丁度花見の季節を迎え、桜の名所王子の飛鳥山から取材を始めようと思ったことなど。

小平市に端を発した石神井川が、北区掘舟三丁目で隅田川に合流、終焉を迎える。
王子はその手前に有って、昔の流路と今の流路の関わりを、地形との関係で見せてくれる貴重な場所。
又江戸時代から行楽の名所とされた飛鳥山や音無し渓谷が、王子駅の直ぐ脇に広がり、こちらも見どころが有る。

 

地形図

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多摩湖自転車道起点(終点)まで

 

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武蔵野台地中央を貫く直線道路を歩く

 

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東京で最長の、直線(水道)道路

 

多摩湖自転車道と羽村山口軽便鉄道跡

村山貯水池(多摩湖)から境浄水場に続く直線道路

実はこの「多摩湖自転車道」を見つけたのは偶然だったし、つい最近のこと。
石神井川を上流から河口まで通して歩いてみようと思い、3月11日、小金井公園脇の「上流端」から歩き始めたのだが、小金井公園を外れたところで不思議な景色にぶつかった。それが下の写真。
川の土手のようでもあるが土手なら川をはさんで両側に続いている筈。ところが川も無いし平場に500メートル程の土手が1本だけ。そこに石神井川が交差、下をトンネルで抜けている。

後で調べたらこれは「馬の背」と通称されている造形で、村山貯水池(多摩湖)から境浄水場への導水路(水道道路)の一部で有るらしい。この場所は石神井川の谷筋になっており、おそらく谷を挟んだ両側との勾配維持の為に築かれた土盛りなんだろう。この土手の中に導水管が埋設されている訳だ。
しかもこの馬の背を含む導水路全体は見事なほど直線で、その上が自転車道・遊歩道になっていることが分かった。この直線区間は村山貯水池から境浄水場迄ほぼ10キロメートル、直線道路としては東京でも最長区間らしい。

 

入りと出の2本の水道道路

一般に水道道路と呼ばれるモノは真っ直ぐで平坦な造りが多い(甲州街道脇の水道道路羽村山口軽便鉄道跡)。
特に、羽村山口軽便鉄道跡は羽村堰で取水した多摩川の水を、村山貯水池に送る導水管が伏せてあり、その上が「奇跡の1本道」とも言うべき真っ直ぐな遊歩道として住宅街や工場敷地を貫いている。
今回の多摩湖自転車道は逆に、村山貯水池から境浄水場に送る導水管を伏せた直線コースになっている。貯水池を挟んで入りと出の直線道路がペアとなっている訳だ。
羽村山口軽便鉄道跡の直線部分は約6キロ(横田基地横断の、約1.5キロを含んで)に対し、多摩湖自転車道は約10キロメートル。雰囲気として私は前者に1票だが、直線の長さとしては正真正銘東京で1番だろう。
※ なお「多摩湖自転車道」は、この直線コース約10キロと村山貯水池(多摩湖)周遊の約10キロ、合わせて20キロを言うが、私の関心は「水道道路」としての導水管埋設の直線部分。

 

井の頭通りの由来

なお今回調べた過程で、井の頭通りが元々は境浄水場から和田堀給水所を繋ぐ導水路だったことを知った。補強され上が車両通行可能な、今や幹線道路としての井の頭通りとなったのは交通量が増えた後のこと。当初はやはり「水道道路」と呼ばれていたらしい。
そう言われてみれば確かに井の頭通りも真っすぐで平坦だし、甲州街道、京王線を超えたところで和田堀給水所に正面からぶつかり、給水所を迂回している。この不自然なコース取りも今回初めて理解できた。
多摩湖自転車道と甲州街道は境浄水場脇の関前5丁目交差点で、引き継ぐような形で繋がっている。

…と言うことで、石神井川の取材は急きょ取りやめてこの多摩湖自転車道直線部分を歩いてみることとした。

 

馬の背

多摩湖自転車道を知るきっかけとなった馬の背の景観。
下を石神井川が通っている。

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撮影Map

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5号隧道から先のルートを探る

5号隧道

4号隧道(赤坂トンネル)までは遊歩道(自転車道)として整備されて、快適に辿れて来た「奇跡の一本道」-羽村山口軽便鉄道跡(同時に羽村堰から村山貯水池までの導水管敷)が、5号隧道でその先の立ち入りが不可になる。

トンネルの入口はフェンスで固く閉ざされ、トンネルの中も水浸しで、仮に入れたとしても進入は困難のようだ。
ここさえ通れるように整備しておいてもらえれば村山貯水池(多摩湖)迄直ぐだし、遊歩道(自転車道)全体の使い勝手も格段に上がるのに、と恨み言の一つも言いたくなるところなのだが、この先には多摩湖への給水設備が有ったりして、あまり一般の立ち入りは避けたいとの事情もおそらく有ってのことだろう。兎も角この5号隧道経由での進行は不可能だ。

と言うことで、今回反対側の西武球場側から探ってみた。

 

撮影Map

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故郷から相次いで「凍み渡り」の知らせが届いた。雪に覆われたその下に、春はしっかりその準備をしている。
昔なら今、肥引きの真っ最中、その後は「春山」、つまり山で雑木を伐ってその束を雪の斜面で滑落させて日常の炊事や冬の暖房の燃料に備える。それが終われば田打ち、代掻き………、考えるだけで終わりのない1年が始まる。

マッ、それは兎も角凍み渡りのこの時期、雪国のふるさとももう直ぐ春だ。
一足先に目黒川緑道に、春を探しに行って来た。
「花の道」とおいらが呼んでいる通り、既に春真っ盛りの様相を見せてくれた。

後二十日もすれば東京は桜の満開だと言う。

 

花の写真は順不同です。
花は好きですが、その名前だとかなんだとか殆ど知識が有りません。

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谷沢川と等々力渓谷

谷沢川を有名にしているのはなんと言っても東急大井町線等々力駅近くから下流の等々力渓谷だろう。遊歩道が整備されていて都心の住宅街で渓谷の景観を味わうことが出来る。
深く浸食されている崖の面、特に不動の滝の周辺には武蔵野台地の地層が露出していて、地質学的にも貴重な観察場所でもある。
等々力不動尊・不動の滝は修験者の霊場となっているし、周囲には横穴式の古墳も幾つか見つかっており、史跡としても貴重なエリアとなっている。

 

地形図

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撮影Map

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谷沢川開渠部分を等々力渓谷まで

南橋で全ての支流を合流、いわば谷沢川の本流として100メートル下流の田中橋で開渠として姿を現し、等々力まで流れる。

 

九品仏川と等々力渓谷

この区間は元々九品仏川と呼ばれ、等々力から先へ、等々力六丁目の九品仏浄真寺脇を通り吞川に合流する川筋だったらしい。
現在は等々力駅の脇でほぼ90度に折れ曲がって南下、その先が等々力渓谷として知られる区間となっている。その辺の事情は次の「谷沢川-5」参照。

 

撮影Map

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田頭溜池支流、天神溜池支流、砧公園下の支流(それぞれ仮称)

世田谷区上用賀4丁目20、関東財務局用賀住宅付近からの支流、世田谷区上用賀1丁目8の天神公園(天神溜池跡)に端を発する支流、東名高速道脇(おそらくかっては砧公園南端から発していたのではないか)から始まる砧公園下の支流を辿る。

 

源流部ルート

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撮影Map

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宇山緑地から田中橋

宇山緑地で桜丘源流の3本の支流が合流、世田谷通りを超える。そこから、用賀2丁目東名高速道高架下から開渠として姿を現す田中橋までの暗渠区間を辿る。
途中、田頭溜池支流天神溜池支流(いずれも仮称)が合流するが、それは別途掲載。

 

撮影Map

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谷沢川と等々力渓谷

「谷沢川(やざわがわ)」と聞いてピンとこない人でも、「等々力渓谷」の名を聞いたことのある人は多いだろう。等々力渓谷は谷沢川下流域の一部、約1キロメートルの区間を指す。
……と言っても実はそこに色々複雑な事情が絡んでいて、「河川争奪」だの「下剋上」、果ては「谷沢川による九品仏川の斬首」だの、おどろおどろしい経過の果ての今の等々力渓谷の景観らしい(その辺の事情はこちら参照)。

 

6本の源流(支流)部

谷沢川の上流域は現在ハッキリ確認できる支流が6本有る。それぞれかっての湧水や雨水を主な水源とした源流部となっている。下にその流路をポイントしておいたが、大半は近年の都市区画整備に組み込まれ、道路に沿って直線的なルートに変更されている。
1本1本は細いし、既に流れる水が絶えたものも有るだろう。しかしそれでも宇山緑地では二つの水路の合流点で開渠となった水の流れを実際に見ることが出来るし、他の水路も完全に都市化の流れに埋没することなく、大半のルートで暗渠ではあっても痕跡を辿ることが出来る。

 

正式な名称も俗称も無さそうなので、それぞれの源流部と思しき場所を冠して、仮称で呼ぶことにする。

1、東京農大常盤寮脇の支流

2、こぶし公園下の支流

3、桜丘4丁目支流

4、田頭溜池支流

5、天神溜池支流

6、砧公園下の支流

 

源流一覧

クリック、拡大表示でご覧ください。その拡大画像で、添付写真をクリックするとそのページが表示されます。

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撮影Map

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ルート軌跡表示のない箇所は、後日追加した分です。

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東京に残る屈指の大名庭園、小石川後楽園

小石川後楽園は水戸徳川家の祖、頼房が中屋敷(後、上屋敷)として造ったもので、二代藩主光圀の代に完成とある。
「後楽園」の意は、中国の故事「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名付けられたと言うが、岡山にも日本三名園の一つとして「後楽園」がある。
小石川後楽園の隣は、東京ドームや遊園地で知られる「後楽園」が有って、今ではこちらが有名かも知れないが、勿論本家は小石川後楽園である。

なお小石川後楽園は文化財保護法によって国の特別史跡・特別名勝に指定されているが、この重複指定を受けているのは、浜離宮恩賜庭園、金閣寺など、ごく限られているそうな。
ともあれ、東京に残る大名庭園の中でも屈指の規模と景観には違いない。特に紅葉の名所として知られている。

 

神田上水とのかかわり

武蔵野・東京における「水辺フェチ」としてのおいらには、庭園の見事さや紅葉の鮮やかさと共に、ここが神田上水の重要なキーポイントであることに興味深い。
関口大洗堰で堰き止められた神田上水はそこで二つに分けられ、左側水路を上水(水道用)とし、余水を右側に流した。この余水の流れが江戸川と呼ばれるようになったが、1965年(昭和40年)河川法改正で神田川に統一された。
この江戸川の、今のお茶の水駅辺りが非常に深くなっていて「東京のグランドキャニオン」などと呼ばれることも有るほどだが、この渓谷は「仙台堀」「伊達堀」などと呼ばれ、二代将軍秀忠の命によって伊達藩が、当時の神田山と呼ばれていた本郷台地を切通した人口の谷。

関口大洗堰で分水された左側の上水は、一旦水戸藩江戸上屋敷(現在小石川後楽園)に引き込まれ、邸内の生活用水、庭園の池などに使われた後屋敷を出て、掛樋(これが水道橋だ)によってこの江戸川の渓谷を超えて江戸市中に配水されていた。
小石川後楽園にはこの神田上水の跡が残っている。

神田川-4 も併せて参照してください。

 

地形図

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撮影マップ

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地形図

地形の起伏が有りませんので、地形図は割愛します。

 

撮影マップ

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地形図

地形の起伏が有りませんので、地形図は割愛します。

 

撮影マップ

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武蔵野台地の峰を歩く

上水屈指の景勝

小平市を流れる今回の区間は、玉川上水全体の中でもおそらく歩いて一番気持ちのいいコースではなかろうか。
小平監視所から下流の、素掘りの状況をそのまま残す玉川上水の姿、それと並行して流れる小川用水・新堀用水。二つの流れに挟まれながら、その間を鬱蒼と茂る雑木林に囲まれた緑道が続く。
この「一番いいコース」を、一番いい時期に歩いてみようと企てた。

井の頭池を目指して

地形的な注目点としては、玉川上水が武蔵野台地最上部、つまり台地の峰・分水嶺を通ってコース取りされている点を挙げたい。

既に玉川上水駅付近で国分寺崖線を越え、台地最上部の武蔵野面に上がった玉川上水の次の当面の目標は井の頭池。
井の頭池からは既に当時、神田上水が江戸まで整備されていた。だからここまで辿り着ければ江戸までの通水は取りあえずは保障されたようなもの。しかし神田上水は元々井の頭池からの自然の流れを利用したもので、従って谷筋に沿って標高が低い。最終コースの関口大洗堰の標高は10m、下町への給水はなんとか出来るとして山の手台地への給水、特に江戸城(半蔵門の海抜は28m)への給水は無理。

玉川上水の最終目標を四谷大木戸に設定したのも、その高さ(標高33m、江戸市内でも最高地点)。ここに水を持ってこれればその先江戸市中全域にスムーズに流せるし、江戸城にも供給出来る。既に整備されていたとは言え、単純に神田上水に合流させる訳にはいかなかった。

台地分水嶺

元々の神田川=神田上水がそうであったように自然の流れは常に地形の中で一番低いところを、谷を刻みながら流れ、地形に沿って言わば最短距離で海にそそぐ。
それに対し、水を遠くまで届けようとした時、地形の一番高いところを選んでコース設定する必要が有る。一旦低地に落としてしまえばそこで水は滞る。

今回、玉川上水駅からのコースを地形断面図等を参照しながら見ると、正に武蔵野台地の峰・分水嶺を流していることがよくわかる。地図を見ただけでは多分分からない。

 

地形図

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撮影マップ

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上水沿線断面図

玉川上水に沿って何ヶ所か、KASHMIR 3Dで断面図を作ってみました。武蔵野台地の峰・分水嶺を選んでコース取りがされているのが分かります。
つまりこの玉川上水を境に、北に降った雨は荒川水系に、南に降った雨は多摩川水系に流れ込む訳だ。
又、分水嶺を通っていることで、幾つもの分水を左右(南北)に分けて流すことも可能になっている。

マーカーは玉川上水の位置です。
(断面は垂直方向に強調されています。各図において水平・垂直の比率が異なっています)

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こちらからの続き

御岳渓谷、御岳大橋から軍畑駅まで

 

地形図

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撮影マップ

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御岳渓谷-巨岩と清流、彩どる紅葉

東京随一の紅葉

あくまで「東京で」と言う前提付きで(上高地や奥入瀬には適わない)、御岳渓谷の紅葉は一番だろう。
深くV字型に削られた谷筋に転がる巨岩とそれを洗って流れる豊かな清流とセットで、御岳渓谷はこの時期一層輝く。
世界でも有数な規模を持つ首都圏の、都心から電車で1時間余りのこの自然景観は、他の国の首都にはあまり無いものじゃないか? 東京は奥が深い。

青梅線御嶽駅を中心に、多摩川の両岸を合わせれば10キロメートルを超える遊歩道が整備されている。
人工物ながら何本かのつり橋や、この地に集中している幾つかの美術館なども趣を添える。洒落た感じの飲食店も点在する。

川と言えば三方コンクリート護岸と、味気ない切梁(堀の上の、梯子状のつっかい棒)を見慣れている都心から離れ、快晴の中、久しぶりに紅葉真っ盛りの渓谷美を堪能してきた。

 

地形図

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御岳渓谷地形図.jpg

 

撮影マップ

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野火止の地に建つ平林寺

平林寺は見応えのある幾つかの伽藍群、何より広大な境内林の、特に紅葉の鮮やかさ等、特筆すべき魅力を持った名刹だが、「水辺フェチ」を自認するおいらとしては、野火止用水から「平林寺堀」として独自に境内に引き込んだ水路の様相、その行く末などを確認したい。
又、野火止用水、ひいては玉川上水開削の立役者、知恵伊豆・松平信綱一族の廟所群も見ごたえがある。

 

 

地形図

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撮影Map

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野火止の地を潤す野火止用水

野火止用水はその名が示す目的の地、野火止(現在新座市)に入る。
こちらの水路図で分かるように、野火止に入った用水は鹿の角のように枝分かれしてこの地を潤していたようだ。全てを辿ることは不可能なので、新座市内でハッキリ痕跡が残っている水路跡を見てみる。

このコースは新座市が設定している「野火止用水ふる里小道」とほぼ重なる(下掲写真参照)。又、歩いている時には気が付かなかったがこのコースの至る所に、鉄腕アトムの幟が立っていてそのコース上であることを教えてくれる。

新座駅前の「野火止用水散策マップ」

 

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撮影Map

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史跡公園-本堀、平林寺堀が分岐

小平で玉川上水から分水、武蔵野台地を流れてきた野火止用水は新座市西堀1丁目の「史跡公園」で、本堀と平林寺堀に分かれる。元々は3本に分かれていたようだが(下掲地形図、及び(こちらの水路図参照)、一番右側(南)は痕跡が明らかでなく今回は割愛、本堀と平林寺堀を辿ってみた。

 

高燥の地、野火止

この辺から地名も「野火止」と呼ばれるエリアに入る。
下掲、撮影Mapを拡大表示で見てもらうと、野火止用水の直ぐ南側(地図上で下側)に黒目川が流れている。北側には柳瀬川。
どちらも水源は台地からの湧水だとしても、大きな川に挟まれて、地図だけ見れば周りに結構豊富な水が有りそうに見える。
しかし地形図を見れば一目瞭然、黒目川も柳瀬川も古多摩川が刻んだ深く大きい谷の底を流れていることが分かる。ポンプアップなど考えられなかった当時、灌漑・水道水として利用出来なかったことは自明。これも地形図を見て初めて分かること。
やはりこの高燥の地、野火止を潤すには遠く多摩川から水を引くしかなかったのだ。

なお東武東上線でこの地を通ると、目の下の深い谷と目の高さの台地を交互に走っている線路脇の風景で、この辺の地形を実感できる。

 

 

地形図

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新座市地形図.jpg

 

撮影Map

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新宿御苑 温室

大木戸門から入って直ぐ右側に温室。

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他の植物園の温室と比べても、造りのクオリティは非常に高いと思う。
生き物だから、季節によっても展示の種類も表情も違う。

写真は展示の一部だが、2016/10/23日、秋の表情をパチリ。

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国分寺崖線と殿ヶ谷戸庭園

国分寺崖線は多摩川が削った河岸段丘で、武蔵村山市緑が丘付近から始まり、大田区の田園調布を経て同区嶺町付近に至るほぼ30Kmに及ぶ。それぞれの地で特徴的な景観を呈しているが、やはりそこに名が冠されている「国分寺」で取り分け趣のある風情を示している。殿ヶ谷戸庭園はその趣のある風情の一つだろう。
広いとは言えないが、JR国分寺駅南口の直ぐ前に広がる殿ヶ谷戸庭園は、国分寺崖線を跨いで武蔵野面と立川面に、それぞれの特徴的な景観を見せてくれる。

なお歴史的な経過や説明は公式サイトなどで。

 

殿ヶ谷戸庭園の湧水と野川

殿ヶ谷戸庭園の湧水は野川の水源ともなっている。
ただ受付で聞いたところでは、その水路は暗渠になっていて住宅街を縫っているらしい。今回はその水路を辿ることは見合わせた。

 

地形図

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殿ヶ谷戸地形図.JPG

 

撮影Map

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生田緑地、日本民家園

多摩丘陵の斜面に広がる広大な生田緑地。ゴルフ場を含め様々なエリアがある。
藤子不二雄ミュージアム、バラ園なども生田緑地に含まれるが、少し離れているので今回は割愛。

生田緑地公式ホームページはこちら

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地形図

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撮影Map

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国分寺崖線とハケの水

崖線と谷地に湧水は付き物。国分寺崖線に建つ深大寺周辺も豊富な湧水が見られ、深大寺の景観にしっとりした趣と深さを与えているし、名物の深大寺蕎麦を育てた大きな要因でもある。
又、「深大寺自然広場」と呼ばれるエリアの「調布市野草園」からも豊富な湧き水が野川に注ぎこんでいる。

これらの湧水は野川の有力な水源の一つでもある。

 

地形図

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深大寺地形図.gif

 

撮影Map

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入間川上流端から野川合流

「中仙川」として殆ど暗渠で来た流れは、甲州街道を境に「入間川」に名を替え、開渠として姿を現す。
三方コンクリート垂直護岸のまま調布市入間町で野川に合流する。

 

地形図

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撮影Map

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中仙川東水路(分岐から再合流まで)

一旦分岐地点まで戻り、今度は東水路(仮称)を辿る。

 

地形図

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撮影マップ

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中仙川西水路(分岐から再合流まで)

中仙川は三鷹市中原地内で二つに分岐する。一貫して「中仙川遊歩道」として続いている西側の水路を最初に辿る。

 

地形図

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撮影マップ

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入間川(中仙川或いは大川)源流から、中仙川東西水路分岐まで

入間川(いるまがわ)は、東京都の主に調布市を流れる多摩川水系野川支流の一級河川。上流部は中仙川(なかせんがわ)と呼ばれている(Wikipediaから転載)。

埼玉県にも荒川水系の一級河川として同じ字で入間川が有るが、埼玉の方は「いるまがわ」と呼び、今回の入間川は「いりまがわ」と呼ぶ。なお「入間川」と呼ばれるのは甲州街道以南の調布市を流れる下流部。甲州街道から北の上流部はWikiにもあるように「中仙川」と呼ばれているし、大川と呼ばれていたこともあるようだ。

 

 

武蔵野台地のメインリバー?

実は入間川を知ったのは比較的最近のこと(2014年)。野川や仙川は前から知っていて何度か辿ったことは有るが、その間を流れている入間川のことは知らなかった。
地図を見ていて「あれっ、こんなところに川が!」と気づいたのだが、甲州街道の脇からひっそりと顔を出すこの川は目に入らないままでいた。
しかしその後調べてゆくと、この入間川、中々由緒正しい川らしいことに気づかされた。入間川は調布市入間町で野川に合流、その後野川は仙川も取り込みながら二子玉川で多摩川に合流する武蔵野台地でも最大の川で有る訳だが、実は入間川合流地点から下流は、かって野川としてではなく入間川として流れていたのだそうだ。
六郷用水(次大夫堀)との絡み合いも含め、改めて入間川の痕跡と流れを源流から辿ってみることとする。

 

東西分岐

中仙川は三鷹市中原4丁目付近で一旦西水路(仮称)と東水路(仮称)に分岐、谷地地形の両端に沿って流れ、甲州街道のすぐ手前、調布市東ツツジヶ丘1丁目付近で再度合流、甲州街道をくぐったところで今度は「入間川」と名を変えて開渠として姿を現す。

最初に「入間川-1」として、調布市深大寺東町8丁目付近の源流部から、東西水路分岐までをこのページで取り上げる。
分岐後の水路は、「入間川-2」として西水路(仮称)を、「入間川-3」として東水路(仮称)を、甲州街道手前の再合流地点までそれぞれ分けて辿ってみた。

 

地形図

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撮影マップ

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吞川の支流洗足流れと、その源流部洗足池

吞川には主な支流が4本有るが、洗足流れは一番下流部の支流。

 

地形図

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撮影Map

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新宿御苑のメインエリア

新宿御苑の中央部分を歩く。半端じゃない広さ。
和風庭園、フランス式成型庭園、イギリス風景式庭園などとともに、下の池から苑外に排水され渋谷川に合流してゆく流れも辿る。

 

地形図

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撮影Map

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苑内Map

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梅雨明け猛暑の中、新宿御苑に行ってきた。もう何度も来ているのだが改めて全域もれなく見てみたいということと、玉川上水や渋谷川との関係を、その痕跡が有ればみたみたいということ。結局7月の直射日光の下12キロ余り歩くことになった。
時節柄苑内はスマホを片手にポケモン探しの連中がワンサカいた。こんな所にきて仮想ターゲットにうつつを抜かすのでなく、現実の景色を楽しめばいいのにと、これは余計なお節介。

 

新宿御苑-都会のど真ん中に広がる広大な庭園

東京屈指の庭園とともに、玉川上水終焉の地&渋谷川源流の地としても重要

新宿御苑は新宿駅から500メートルほど、歩いても数分の距離にある、言わずと知れた東京(日本)でも屈指な大庭園の一つ。
同時に東京の「水の流れ」を知る上でも非常に貴重なキーポイントでもある。

新宿御苑は玉川上水終焉の地であり、同時に渋谷川の「由緒正しい」源流部でもある。

玉川上水四谷大木戸

羽村堰から43キロ、武蔵野台地を下ってきた玉川上水が現在の新宿御苑の東端、四谷大木戸でせき止められ、その先は地下に設置された石樋などによって江戸市中に配水される。余った水は余水吐(よすいばけ)として、新宿御苑に沿って南に流される。この玉川上水余水吐が渋谷川の主要な水源になっていた。

天龍寺を水源とする渋谷川源流

新宿4丁目に現在もある天龍寺にかって豊富な湧水があり、この池からの水が現在の新宿御苑の湧水と合わせ、「上の池」「中の池」「下の池」と下り、玉藻池の水も含めて玉川上水余水吐に合流していた。
渋谷川には河骨川、宇田川など何本もの支流が有るが、この天龍寺→新宿御苑経由の流れが、いわば渋谷川本流の由緒正しい源流だと言えよう。

現在、天龍寺の湧水は枯れて池も埋め立てられているようだが、新宿御苑内の池は苑全体、特に和風庭園のメインペースになっている。

内藤新宿と新宿御苑

元々新宿は「内藤新宿」と呼ばれていた。
「内藤」はここに信州高遠藩内藤家の中屋敷が有ったことによる。
「新宿」の名の由来は、元々甲州街道第一番目の宿場が高井戸だったものを、日本橋から遠いということで中間点に造った「新しい宿場」と言うことから。

内藤家は徳川家康の信頼厚く、甲州街道の入口の地であり江戸城半蔵門から真っすぐなこの地にに、江戸城警護或いはいざという時の避難路確保の任も含めて広大な敷地を与えた。
内藤家初代の清成は、家康から「馬で一息に回れる土地を与える」と言われ、乗った駿馬が息絶えるまで走らせ、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、広大な拝領地を得たという(その後一部返納)。その「駿馬塚」も新宿御苑の脇にある。
新宿御苑はいろいろな経過を経て現在に至っているが、敷地が内藤家拝領地の一部であることを考えるとその広さもむべなるかなと思わせられる。

広さ58.3ヘクタール、周囲3.5km
入苑料 ;一般200円/小・中学生50円/幼児無料

 

地形図

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撮影Map

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苑内Map

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『場内散歩』の案内メールを、南魚沼市女子力観光プロモーションチームに送ったら、今日その返事が届いた。
※ 掲示板にそのコピーを載せておきました。

既に「女子力………」のブログでも取り上げてくれていたようだ。
又、公民館城内分館のブログでも気合の入った案内がされていた。

企画は1年間を通してのものだから、相当話題になりそう。
亘は勿論のこと、地元メンバーの心意気とご苦労のおかげです。

この「八海山倶楽部」もチョットばかり鼻が高い感じ。

鬼の顔(おんのつら)登攀

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GWで帰省した際、鬼の顔(おんのつら)に登ってきた

 

鬼の顔は、ここ何年か、一度登ってみたいと思っていて今回それが実現した次第。
鬼の顔の正面、鼻筋に当たるコースを真っすぐ上に登った。実際の勾配は60度位か。しかし実感としてはもっと急に感じる。
木の枝につかまりながら登ったのだが、その枝が無ければ到底姿勢を維持することも出来ない。足を滑らせれば下まで転がり落ちるし、結構緊張した。
登攀時間は20分位だったと思う。

下りは西寄りの、下の写真で言えば左側の稜線(三角形の左の辺)に沿う形で降りた。
降りるときも枝につかまって降りるのだが、枝をしならせながら次の枝まで下りればいいので楽だった。

 

Qの「ふるさと今昔物語」の中で、昔の遊びのことが書かれていた。
俺もそれについてページをUPして有ったのだが、既に「最近のブログ記事」リストからも外れている。……と言うことでそのページへのリンクを掲載しておきます。

しかし今考えても俺の御幼少の時期、かずよし、かつお、わたる といい遊び仲間がいたもんだ。そのうちの亘とは、今また違う形で遊んでいる訳だが。
あの頃の遊びも、今のTVゲームなんかに負けない奥深さを持ったのが有ったなと、改めて思う。しかし如何せん、今じゃ田舎でも都会でも子供の数が少なくて、遊びのメンバーが集まらない。

http://hakkaisan-photo.com/y-ok/2012/06/memory1.html

台風・豪雨と海水温上昇

台風19号が猛烈な勢いを持って近づいている。
これも大型の18号が去ったばかりだって言うのに。

このところ毎年のように「いまだかって経験したことの無いような………」大風や豪雨が襲っている。本当に地球が荒っぽいことになって来た。特に今回の19号は、宇宙ステーションから見た飛行士が、「ここから幾つも台風を見ているが、こんなのは初めて」と言っていた。
稲刈りは概ね済んだようだから良かったが、林檎や梨、或いはビニールハウスなど、大きな被害が無ければいいが。

台風の大型化は海水温の上昇が大きな原因らしい。
その温度の上昇分だけのエネルギーを汲みとって大型化、或いは豪雨の元になっているのだろう。
一旦上がった海水温なんて、人間が制御できないもんな。

この海水温の上昇は台風や豪雨だけの問題じゃ無く、当然冬の豪雪にも関連してくる。それだけ水蒸気を多く含んだ西高東低の風が吹きつけてくる訳だから。
ここ何年かは六日町周辺はそれ程の豪雪にはならなかった。しかし去年だったか一昨年だったか、入広瀬で5メートルを超える積雪になった。今後何処にそう言った豪雪が来てもおかしくない。

 

北陸の豪雪

ところで実はずーっと疑問に思っていたことが有って、どうして北の北海道なんかより北陸、特に新潟の魚沼辺りが雪が多いんだろうと不思議だった。
もう10年近く前、物凄い豪雪の年が有って、実家の雪おろしに帰省した。
新幹線で越後湯沢に降り立ち、駅舎の屋根にうず高く積っている雪が、これから立ち向かう親の仇のように見えて憂鬱になった記憶が有る。

実家の屋根の上で雪と格闘しながら突然、長年の疑問が解けた。
そうなのだ、結局大陸と日本列島との間の、日本海の差し渡しがカギだったのだ、と。
日本列島は弓なりにカーブしていて、大陸との距離が一番長いところが丁度北陸・新潟と言うことになる。
大陸からの乾燥した季節風が日本海を渡ってくる時、その長い差し渡し全てで存分に水蒸気を吸いこみ日本列島の山脈にぶつかる。そして魚沼に豪雪をもたらす。
これから地球温暖化が進むに従って、ますますこの豪雪がひどいことになるんじゃないか、と身震いしたものだ。

今年も是非小雪で有って欲しい。
まるっきり雪が無いとスキー場など困るところも出てくるし、除雪業者も織り込み済みのことだから有る程度の積雪は必要だが、5メートルは困る。スキー客も来れないし、俺ももう歳だ。雪おろしもそろそろ勘弁して欲しい。

鎮守講

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季節はゴールデン・ウィーク直前。気候も暦も最高の時だ。八海山倶楽部にもその辺の雰囲気を感じさせる投稿が寄せられている。それにしてもこの時期に丁度連休が重なるのは、偶然にしてはよく出来過ぎている。
おいらの二十歳前後、未だ実家にいた頃、逆にゴールデン・ウィークだの世間でニュースになっていたボーナスだのが、羨ましいと言うより妬ましかった。うちは酪農と米作りで365日休みなしだし、この時期田圃での作業の真っ最中。当然百姓にボーナスなど無い。
田圃脇の道路を歩く、都会からの帰省と思われる人を横目で見ながら、この時期裏作の牧草刈りだったか堆肥撒きだったかをしながらふてくされていたものだった。

あまり晴れがましい思い出の無かった故郷が、今しきりに懐かしく思い出される。

 

【花】ドライブ、PART2 大王わさび田

4人連れの信州ドライブは、高遠城址公園の後、安曇野の大王わさび田に向かった。
この辺、至る所に水辺が有るようだ。「水辺フェチ」のおいらとしては中々そそられる。

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以前、花粉症とは無縁だった。
花粉症で苦しんでいる人の話を聞いても、大変だなあ、とは思うものの所詮他人ごとで、子供の頃焚き付けの杉っ葉拾いに杉林を掛け回っていた自分とは関係の無いことだと思っていた。

それが6、7年程前、その症状が出るようになった。
とは言っても、最初は花粉症だとは思わず、風邪かなと思っていた。鼻がグズグズして鼻水が出るし、なんとなくボウっとしてだるくなる。こう言った症状は風邪と共通のもんがある。

「こりゃ、花粉症だな」と思い始めたのは、多分5年程前だと思う。特にひどくなったのが一昨年から。

涙は出るわ、眼やにが付くわ、眼はショボショボで瞼が赤く腫れあがる。鼻もグズグズして鼻水が出っぱなし。イイ男が台無しで色気もへったくれもありゃしない。

一昨年もひどかったが特にひどかったのが去年。花粉の飛散量も近年になく多かったらしい。
忘れもしない去年の3月2日(土)、野川流域を歩いた時だった。

基本的に家の中での仕事が中心で、特に冬の間あまり出歩かずに過ごしてきたおいらが、春の陽光の下、カメラを持ち出してのことだったが、てきめんに花粉症が爆発した。川沿いを歩きながらひっきりなしに鼻をかむことになった。

花粉症に限らないが、余程具合が悪くないと病院に行ったり薬を飲んだりしないおいらだったが、堪らずに、試しと言うことも有って始めて市販の花粉症向け目薬を買って使ってみた。
流石薬の効果は顕著で、眼だけでなく鼻の症状も少しは良くなったような気がした。おそらく眼から吸収された成分が鼻の症状にも効いたのだろう。

今年はニュースによると花粉の飛散も少ないとのことで実際症状も今のところ去年ほどではない。それでも去年の薬効果に味をしめて、未だ症状が出ていない2月の28日、病院に行って相談してみた。
「去 年、目薬だけだが市販薬を使ってみたら効果が有ったので、個別に処方して貰ったら効果も格別だろう、と期待して」と医師(女医)に言ったら、その女医は 「市販の薬は、色々成分が入っているので、結構効くのよね」との反応で、「病院で出す薬も特に市販薬と比べて劇的に効く訳ではない。却って効果は穏やかかもしれない」と言われて、目薬と点鼻薬を貰って来た。

花粉の飛散量にもよるのだろうが、この目薬と鼻薬で、症状は大幅に抑えられている。薬は保険を利かせて800円だったと思うが、ティッシュの使用量が去年と比べて劇的に減っているので、その分で800円位はペイ出来そう。

尤も、今まで寒さが続いていたのであまり外に出かけていない。3月9日の多摩川河口歩きが、今年のデビューみたいなものだった。

これから頻繁に出かけるようになった時、症状がどうなるか?

でも、いずれにしても薬嫌いなおいらが、改めて薬の効能を思い知らされた「今日、この頃」。

白糸の滝駐車場からの富士山

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1月19日(日)、八海山倶楽部メンバーの久と秀一、私の3人で、写真撮影を主な目的に富士山周辺の1デードライブに行って来た。
撮影のターゲットは、早朝の「赤富士」であったり、富士山の湧水であったりと、各人思い入れはそれぞれ若干違う。私の狙いはズバリ「富士山湧水巡り」。

……と言うことで、主にその辺の風景を掲載します。
なお、富士山の湧水と言うことで有名な所に「忍野八海」が有って、今回も一応回る予定になっていたのだが、時間が無く回れなかった。又何時かの機会に。

冒頭の写真は、千円札で有名な、本栖湖からの富士山。

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暮れの31日、夜、近くの明治神宮に、二年参りの参拝客を見に(参拝じゃ無く)言って来た。
開けて元日、同じ明治神宮と芝増上寺、途中の愛宕山を自転車で回ってみた。

 

芝増上寺で見た猿回し

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

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昨日、10月31日はハロウィンなんだとさ。
渋谷の住宅街でもこんなのを見るのはここ数年、10年前には無かったような(ハッキリした記憶が無いけど)。

日の短いこの時期、暗くなる頃から往来に子供の声が響き始める。思い思いの悪魔や妖怪の格好をした子供が各戸を回ってお菓子を貰うらしいんだが、それでもむやみやたらに回る訳にはいかない筈で、余所者の私の住処には来たことが無い。

ターゲットはやはりその地区の、何らかの商業施設、と言って住宅街だからこう言った飲食店や美容院やそう言ったところ。そう言う所ではこの日に備えて結構な数のお菓子を用意しているとか。まあ商売上止むを得ないと言うか、宣伝効果も有るんだろう。
その他、昔からの地元の家やお互い子供を持つ家庭を回っているんだろう。
見てると中学生や高校生と思しき、ガイコツや魔女がうろつきまわっている。

ここは外国人が多いからこう言ったイベントが流行り始めたんだろうが、クリスマスと同じく、キリスト教徒でもない日本で、やがて全国区入りするのかな?

※ 夜のことでもあり、今、他人の子供にカメラを向けるだけで怪しまれる時代でフラッシュも焚けないし、ボケボケの写真ですが。

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土改前の風景が時々頭をかすめる。ハッキリ思い描ける場所も有るし、おぼろげにしか思い出せない所も有る。
その中で、昨夜、唐突に「かざんぱら」を、そのことばと共に思い出した。

…と言っても、藤原以外の人には何のことか分からないだろう。
亘は当然分かるだろうが、秀一は分かるかな?

かざんぱら、おそらく「風の原」が元になっての地名だが、なんと風雅な呼び名だ。それに茫漠とした語感もある。
場所は今の「藤原団地」、前の東邦亜鉛社宅団地の、一番藤原よりの辺り。

土改前はあの辺一帯畑で、かざんぱらには、畑から拾い上げたのだと思うが、石藪みたいなのが有って、木が3、4本立っていた。
かざんぱらで道が二つに分かれて、少し右寄りの道を100メートル足らず歩くと、畑が切れてそこから池田原の田んぼが広がっていたし、池田川を超えて上原に続いていた。今のメインロード。
左の細い道を下がると、池田川の下流に繋がる筈だが、子供の頃はそこまで行ったことは多分無かった。今なら幾らでも無い距離だが。

 

昔の、土改前の風景を思い出す時、墓場がランドマークになっている。墓場が記憶の点となって、それを繋ぐ形で道や周りの風景が思い出されてくる。
中でやはり一番強烈なのは、自分たち藤原のしん墓(死ん墓)と、みょっちの墓だったな。
今、当時のまま残されていれば結構な被写体になっているだろうが。

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新宿二丁目、ゲイの町

Wikipediaによると、新宿二丁目は大阪市北区堂山町と並んで世界に冠たるゲイ・タウンとして知られている。通称はニチョ、二丁目。新宿通りから靖国通りに抜ける約230メートルの仲通りを中心に、その周りの路地などを含め、450店舗程のゲイバーやゲイグッズショップ、同性愛者同士が入れるホテルなどが林立しているそうな。

今回初めてここに踏み込んでみた。
実はもう少し隠避な雰囲気をイメージしていた。実際そう言った雰囲気の店構えも有るには有るのだが、ただ通路を歩いている分にはそれ程には感じない。歌舞伎町などと比べても地味な感じ。何の予備知識もなく入り込んだら、或いはそれと気付かずに通り過ぎたかも知れない。店舗数も450も有るようには感じない。しかし一つの雑居ビルに何店舗も入っていたりするのだろう。隠避なのはその店の中であって外からは窺い知れないのかも。
かと言ってその店の中に入って、撮影取材も出来ないしその勇気もない。本来ゲイバーは、女性客や「普通」の男性客の入店は歓迎しないらしい。そう言う客の出入りする店にはゲイが敬遠して寄り付かなくなるのだそうだ。そんなところに迂闊に飛び込んだら菊の花が血に染まる。

夜の9時半頃に行ったのだが、通行客もまばら。これも歌舞伎町などとは違っていた。既にその道の者どうし真っ直ぐ目指す店に直行するのかも知れない。通路であれこれひやかしたり入る店を物色して歩くなど、他の歓楽街に有りがちなことがここでは少ないと言うことか。
そもそもここに集まる人たちは数的にはマイノリティであって、ごった返す程の絶対数が本来無いのだろうな。
この辺、いずれも「その道」の門外漢である私の推測。

※ 下の久からのコメントにも有るように、人出のピークは日付を超えてからのようだ。人出がまばらだったのは時間帯が早すぎた為らしい。
今度、12時過ぎに一度行って見よう。

……と言うことで、予備知識も無く事情にも疎い私の、取り敢えず第一回目の探訪記。
説明するだけの知識も無いので写真を羅列するだけですが、雰囲気だけでも感じて下さい。と言って、最初に書いたように、外から見るだけでは概して普通の雰囲気です。
又、やはりここでの撮影、特に夜の撮影に必須な三脚を立ててカメラを構えるのは若干気が引ける。特に客と思しき人達にモロにカメラを向ける勇気は私には無かった。

 

新宿御苑入り口近くから見る、仲通り(1)

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8月13日から16日まで、実家に帰省して来た。
とは言っても、先月から施設に入ったおふくろの泊り帰宅が14日にあり、身の自由が利かないおふくろが家にいる間、誰か付いていなければならない為、日ごろ地元の姉妹たちにおんぶに抱っこの世話を掛けている身としては、その役を買って出たと言うところで、実際はお盆などと浮かれている状態ではなかった。
そんなこんなで、殆ど出かけることも無かった。

写真はその合間に身近な所を切り撮った分で、自分の記録といった意味での掲載。脈絡もなく単なる羅列。

 

雷電様

冬でもない限り実家に帰省すると、たいていは足を延ばす。
亘も「こもれびの歌(藤原)」で書いているように、やぶ蚊と言うかブヨと言うか、本当にうるさい。眼の中に飛び込んでくるのが煩わしい。

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